「シリア国民の惨状・意外に少ないアサド非難」

2011年5月 5日

 シリアでは毎日各地で、大規模抵抗運動が展開され、それに対して政府側は、軍隊を大動員し戦車までも持ち出して、弾圧に力を入れている。既に、デモで死亡した死者の数は600人を超えている、といわれるのだが、意外にアサド大統領自身に対する、非難の声は少ない。

 それでは誰が、現在のシリア国民のデモに対する、血の対応を進めているのであろうか。一説によれば、アサド大統領は国民との対話と、改革を進めたいのだが、それがなかなかうまく進められない、状態にあるというのだ。

 アサド大統領の改革路線を阻んでいるのは、彼の父である故ハーフェズ・アサド大統領のとき以来、シリア政府の重鎮に納まっている、大ベテラン政治家たちだ。

 彼らからすれば、現在のアサド大統領など、自分の息子ぐらいの年齢であり、大統領とは呼ぶものの、心のなかでは『坊や』としか、みなしていないのではないか。したがって、アサド大統領の考えを実行するよりも、彼らの考えを実行したい、ということになるのだ。

 これにはこれまで、いろいろな紆余曲折があったからであろう。そもそも、故ハーフェズ・アサド大統領は彼の後継者として、長男のバーセル・アサド氏を考えていた。しかし、バーセル・アサド氏は交通事故で死亡してしまった。一説には暗殺だったとも言われている。

 当初、長男と次男が権力を廻って、争うことのないようにという、故ハーフェズ・アサド大統領の配慮で、次男のバッシャール・アサド氏は政治の道から程遠い、医者の道を与えられイギリスに留学し、眼科医の資格を得ている。

 しかし、兄が死亡したことにより、彼は急遽後継者としての道を、歩み出すこととなった。長男バーセル・アサド氏はランボーを思わせるような、眼光鋭いハンサムな青年であったが、バッシャール・アサド氏は学級肌の、弱々しさを感じさせる青年だった。

 政治的な訓練、帝王学を学んでこなかったバッシャール・アサド氏は、その後、父親が死亡すると父親の側近の、政府幹部たちの厳しい指導下に、置かれることとなった。その影響がいまだに続いている、ということではないか。

 父親ハーフェズ・アサド大統領の側近たちは、彼ら自身と彼らの子息たちの利益を守るために、強硬に国民を締め付ける体制を、崩そうとしないのだ。その結果、バッシャール・アサド大統領がどんなに改革を進めたくとも、実行できない状態が続いているのだ、ということのようだ。

 これまで、トルコのエルドアン首相は、バッシャール・アサド大統領に対し、何度も改革路線を説得してきたのだが、未だに効果が出ていないということの裏には、そのような事情があるのだ。

 シリアの政治を動かしているのは、バッシャール・アサド大統領ではなく、彼の取り巻きの古参政治家たちということであり、その硬い体質が、将来全てを彼らから奪い去るであろうと思われる。しかし、権力を握る者は時として頑迷になり、盲目になるのであろう。それが彼らに悲惨な最期を、もたらすのであろう。