エジプトでは今、識者はあらゆる場面で、1月25日革命を口にすることから発言を始めている。つまり、1月25日革命を口にし、賞賛しなければ、自分の発言が社会的に、受け入れられないといった風潮が、エジプト社会のなかに、広がっているということだ。
1月25日革命は21世紀に記録すべき、偉大な大衆による独裁者を倒す革命であり、平和的に行われたものだ、と定義付けられている。しかし、実態はどうだったのであろうか。
そこで大衆革命がどう推移し、それがどのような結論に達したのかを、もう一度検討してみることにした。確かに、第一段階では無名の若者たちが主役であり、彼らはフェイス・ブックなどを通じて革命を呼びかけ、大衆を動員することに成功していった。1月25日、26日、27日とこの活動は続けられ、28日の午後5時の段階になると、彼ら最初に行動した若者たちは、突然舞台から消えていった。
その後の第二段階の大衆革命の主役は、不特定多数の大衆に代わっていった。金持ちも、貧乏人も、若者も、年配者もが参加するようになったのだ。その数は何百万人にも達し、エジプトの各地でムバーラク体制に対する、反対運動が広がっていた。
こうなると、もう警察の力ではなんとも、しようがなくなっていた。軍隊はこの大衆運動に対し、全く手を出さなかった。そのことは幸いにして、革命後のエジプトに、ある程度の秩序を、もたらしたのかもしれない。
次いで革命の主役は第三段階を迎え、不特定多数の大衆とムスリム同胞団に代わった。ムスリム同胞団はこの段階から、革命のイニシャチブを掴んでいた。それは第四段階を見ると明らかになる。
第四段階は、革命が軍によるクーデターによってほぼ達成し、ムバーラク大統領が辞任することが、オマル・スレイマーン副大統領によって宣言され、軍が結成した軍最高評議会と各政党、人民代表との交渉の段階に入った。ここで、いち早くこの会議に参加を表明したのは、ムスリム同胞団だった。
ムスリム同胞団はエジプトで最大の力を持つ、軍との協力姿勢を示すことによって、この革命を軍と並び、自分たちの手中に収めようとしたのであろう。事実、その後の展開を見ていると、ムスリム同胞団がエジプト政治の主役に、躍り出たことが明らかになっている。
現在、エジプトの首相を務めているイッサーム・シャラフ氏は、ムスリム同胞団が推薦し、軍最高評議会が受け入れたものだといわれている。つまり、ムスリム同胞団は現段階で、エジプト政府のトップを選出する力を持つに、至ったということだ。
しかし、このムスリム同胞団が、若者たちによって始められ、大衆を立ち上がらせた革命を、自分たちのものにし、今後長期間に渡って、それを維持し続けていくことが、出来るだろうか。
現在のエジプトは、大衆革命に暴力をもって対応した警察が、完全に舞台から降り、社会は混沌とした状態になり、警察は犯罪を取り締まることを、放棄している。
輸入業者は支払いが不確かであり、販売が不確かな状態のなかで、輸入を止めている。各企業は社員を解雇し、あるいは給与を大幅にカットしている。もちろん倒産した企業も、少なくないようだ。
その結果、ある企業のオーナーは大卒やドクターを持つ多くの若者が『何の仕事でもいい、出来るだけ早く雇って欲しい。』というメールを送ってきていると語っていた。
エジプトでは大衆革命が成功し「独裁者」ムバーラク大統領は追放された。しかし、その結果は、パンがない、仕事がない、生活苦、という悪循環への展開ではないのか。
そして、その状況はやがて、新たな大衆の蜂起を、起こさせることになろう。その第二革命に対し、ムスリム同胞団は応えることができるのであろうか。現段階で軍最高評議会が、ムスリム同胞団の専横を許しているのは、第二革命に備え、自分たちの役割を考えているからではないのか。