「ガマーアが穏健路線・ルクソールで会議」

2011年4月10日

 1981年、第四次中東戦争勝利記念パレードの会場で、サダト大統領を暗殺する事件が起こった。このときの実行グループは、エジプト軍将校のイスランブーリを中心とする、ガマーア・アッタクフィール・ワ・ルヘグラと呼ばれる、イスラム原理主義のグループ・メンバーたちだった。

 そのグループを支援していた、ガマーア・イスラーミーヤの幹部が、エジプトの観光地ルクソールで、若者に寛容を勧める会議を開催した。主催者側の発表によれば、この会議には2000人ほどが、参加したということだ。

 会議のなかで、主催者であるアブドルマギード師は『若者に寛容になれと若者たちに訴えた。』と語っている。このアブドルマギード師は、サダト大統領暗殺グループに対し、支援を送っていたということで、1981年から2006年まで、投獄されていた人物だ。

 このガマーア・イスラーミーヤの幹部が、今の時期に何故寛容を若者たちに、訴えたのか興味深い。ガマーア・イスラーミーヤといえば、イスラム法を現代に復活することを、主張する超原理主義グループだからだ。

 この人物が観光客に対しても『観光客がエジプトを訪れることに、何の不安も抱く必要はない。』と言ったというのだ。彼らはいままで外人観光客が、軽い服装でイスラムの境界内を動くことに対しても抵抗があり、全ての偶像、全ての非イスラムの神殿も、否定する立場を採っていたはずだ。

 神殿については『神殿の存在はシャリーア法に反するが、だからと言って、それを破壊することは許されない。』と語っている。

 考えられることは、エジプトの大衆蜂起のあと、クーデターを起こした軍部が、完全に権力を握ったなかで、軍部とイスラム原理主義グループとの関係に前進があったからではないか。

 例えば、エジプト最大にスラム原理主義グループである、ムスリム同胞団はクーデター後に開かれた、軍最高評議会が呼び掛けた、再建のための会議に、率先して参加している。

 ムスリム同胞団は新たに誕生した軍最高評議会と、スタートの段階で良好な関係を築くことが出来れば、その後も軍最高評議会から、危険な存在とみなされず、政治活動の自由を保証されうる、と判断したのであろう。

 ガマーア・イスラーミーヤも、ムスリム同胞団の新権力への、接近を真似たのではないか。しかし、それはスタートの段階でだけの話であり、彼らが穏健化していくとは、到底思えない。

 それは、ガマーア・イスラーミーヤにはムスリム同胞団同様に、明確で厳しい、基本的な理念があるからだ。うがった考え方をすれば、エジプトの観光資源の代表であるルクソールで、この会議を開催することにより、間接的に観光産業に対する、生殺与奪の権は自分たちにある、ということをアピールしたのかもしれない。そもそもルクソール神殿では、1997年に、彼らガマーア・イスラーミーヤによる、観光客襲撃事件が起こり、日本人観光客を含む58人の人たちが、犠牲になっているのだ。エジプトの安全状況には、まだ不安があるということではないか。