アラブ各国を次々に襲っている大衆革命という名の津波が、当初は比較的穏健な展開を見せ、権力者たちはあまり抵抗することなく、権力の座から退いている。それでも大衆蜂起の後の状態は、まさに混沌という表現が、ぴったりなようだ。
チュニジアでは権力なき社会国家という状態が継続しており、何事も決まらないなかで、大衆の怒りと不満は再度、高まっているようだ。エジプトでは大衆蜂起に暴力で応じた警察が、大衆の信頼を完全に失い、大衆による攻撃の対象に、変わってしまった。
結果的に、エジプトはいま、治安を維持する装置が完全に壊れ、街は無法地帯のような状況に、なっているということだ。誰もこんな状況に、カイロが陥るとは、予想していなかったろう。その秩序回復に軍が動けば、軍に対する反発が高まり、結果的にエジプト社会の安全装置であるはずの、軍隊までもが非難の対象になりかねないのだ。
他方、リビアのカダフィ大佐は、大衆蜂起が始まった早い段階から、軍事力を使った蜂起への弾圧、という対応策を選択した。その後の経過を見ていると、リビア国内の反政府派は、NATO軍の支援を受けながらも、勝利を勝ち取ることはなく、カダフィ派も勝利出来ない、こう着状態が続いている。
日を追って増え続ける市民の死傷者の数は、何故この国をそのような惨禍が襲うのかと、疑問を抱く人が多いだろう。その悲惨な状況の向こうに見えるのは、リビアの東西分断であり、外国軍の強い影響を受ける、外国軍の占領下の、新生リビアであろうか。
リビアと同じように力による、問題解決の道を選択したのは、湾岸の小国バハレーンだった。この国はサウジアラビア、クウエイト、アラブ首長国連邦が結成した、湾岸の盾軍の展開を認め、大衆蜂起を力で抑え込もうとしている。
しかし、それは元通り出来ない亀裂を、バハレーンのシーア派国民と、政権との間に生み出し、周辺のシーア派教徒も敵に回す、状況を生み出してしまっている。つまり、バハレーンのシーア派国民と政府の対立は、同国ばかりではなく、イラク、イラン、サウジアラビアにも、問題の影響を生み出しているのだ。そのことが新たな軍事的対立を、サウジアラビアとイランとの間に、生み出す危険はあるし、イラクの湾岸諸国への台頭もありえよう。
同様に力による対応を選択した、イエメンのアリー・サーレハ大統領は、結果的に、多くの国民を殺害することになり、盟友であるはずの湾岸諸国ばかりか、アメリカからも退陣を強いられるようになってきている。
つまり、リビアのカダフィ体制も、イエメンのアリー・サーレハ体制も、バハレーンの首長体制も、力の選択をした結果、最後は惨めなものに、なりそうだということだ。
加えて、シリアのアサド体制も力による、大衆の要求への対応を選択した結果、極めて不安定な状態に陥っているのではないか。リビアではカダフィ大佐の子息サイフルイスラーム氏が、父親に代わって改革のための新提案を、するのではないかと、国民から期待されていたが、その期待は水泡に帰した。
結果的に、武力衝突が続いているが、シリアでもアサド大統領が事態の収集に向けて、何らかの新提案を出すのではないか、と期待されていたが出さなかった。アサド大統領が小出しに出す、改善案に似て非なる提案に、国民は反発を強めているのだ。
こうした推移を、事前に感じ取っていたトルコは、シリアに対してもリビアに対しても、大幅な改革案を出すように助言していたが、受け入れられなかった。それは、カダフィ大佐もアサド大統領も、明日の生命が保証されない中では、とても冷静な判断が出来ないからであろうか。
力による大衆の蜂起への対応は、結果的に早期に辞任した、チュニジアのベン・アリ大統領や、エジプトのムバーラク大統領とは異なり、悲惨な結末を引き出してしまうかもしれない。その予想される結末は、何処かイラクのサダム・フセイン大統領の最後の状況と、ダブって見えるのだが。