「フェイスブックの英断かあるいは偏向か」

2011年4月 1日


 ツイッターやフェイスブックを利用した、社会運動がイランで始まり、アラブ世界に激変を生み、チュニジアとエジプトの体制は崩壊した。まさにツイッターやフェイスブックは現代社会の、最高の政治的武器と化したかに見える、

 シリアでもリビアでもバハレーンでも、ヨルダンでもツイッターとフェイスブックは、社会的不安定化を生み出している。この現代の武器を、パレスチナ人が利用しなわけがない、と思うのは私だけではあるまい。

 実際に、パレスチナでもツイッターやフェイスブックを活用し、大規模なデモが呼びかけられ始めていた。しかし、それはしばらくすると、閉鎖されてしまった。閉鎖の段階で既に、パレスチナのフェイスブックへの参加者が、34万人に達していたということだ。

 何故フェイスブックがいままで、問題なく機能していたのに、パレスチナの場合だけ、閉鎖されてしまったのであろうか。この点について、フェイスブックを運営する側は、書き込みの中に暴力を煽るものや、エルサレムを暴力で解放しよう、と呼びかけるものがあったからだということだ。

 確かに、フェイスブックを利用して、平和的なデモを計画することには、誰も異論はあるまいが、暴力の奨励が書きこまれるようになっては、多分に問題があろう。それが許されるのであれば、フェイスブックは暴力革命の武器に、なり下がるからだ。

 しかし、パレスチナのフェイスブックが閉鎖されるに至ったのには、もう一つの理由がある。それはパレスチナ人の間で、フェイスブックを舞台に、反イスラエルの呼びかけが増大し、やがてはイスラエル内のパレスチナ人と、ヨルダン川西岸地区のパレスチナ人、そしてガザのパレスチナ人が、一体となることを恐れ、イスラエルがフェイスブックの運営者に対し、削除を強く働き掛けたからだ。

 フェイスブックのように、匿名で書き込めるサイトには、色んな意見が出てきて当然であろう。皆が行儀よく平和的な目的のためだけに、利用するとは限らない。ましてや、パレスチナ人の場合には常日頃の不満が、このフェイスブックの上でむき出しになったとしても、不思議はあるまい。

 フェイスブックが閉鎖されたパレスチナ人の多くが、平和的な抵抗の意志の交換の場として、フェイスブックを活用しようと、思っていたのではないか。同時に、パレスチナ人同士が連帯することを、希望していたのではないか。

 しかし、フェイスブックのパレスチナのページが閉鎖されたことにより、暴力的な抵抗運動しか、残されていないと考えた、パレスチナ人が多いのではないか。アラブに限らず、大衆の不満を軽減するためには、ガス抜きが必要であろう。そのガスの抜き方が効果的であり有効であれば、社会的暴発を生むことはあるまい。

 今回のイスラエルによるパレスチナのフェイスブック閉鎖措置は、正しかったのであろうか。あるいはパレスチナ人の不満を、煽ることになるのであろうか。後者の可能性が高いのではないか、と懸念されるのだが。