大衆の蜂起が、遂に30年を超えるエジプトの現代のファラオ(王様)を、その栄光の座から引き摺り下ろすことに成功した。これはまさに、大衆の勝利以外の何モノでもない。
しかし、現実はどうもそうではないようだ。大衆が立ち上がった原因とされる失業問題、経済問題、生活苦、汚職、、、。そのどれが革命(?)後に、解決されたのだろうか。あるいは解決される糸口が、見えたのだろうか。答えは「何も見えない」ということではないのか?
そして権力はいまだに、軍の最高評議会にあり、その最高評議会が進めた憲法改正を、一番有効に活用しようと考えているのは、ムバ-ラク大統領時代の与党である国民民主党と、ムスリム同胞団の自由公正党だけではないのか。
大衆が結成した4月6日運動も、ガド党も革命の担い手だった青年層も、権力からは相変わらず、遠い位置にいるようだ。
そうした庶民のフラストレーションの解消に、ムバーラクの名を冠した、あらゆる建造物から、ムバーラクの名前を剥ぎ取ることで、役立てようとしているのかもしれない。その行動がいま活発に、エジプト社会で広がっている。
学校、図書館、各種の賞、橋やビルの名前には、幾つもムバーラクあるいは彼の次男ガマール、あるいは彼の妻スーザンの名が冠せられているのだ。それを一つ一つ取り剥がしていくには、相当の時間がかかるかもしれない。
今のエジプト庶民の楽しみは、ムバーラクの代わりに、どんな名前を付けるかを、考えることのようだ。革命の中心地となったメイダーン・タハリール(自由広場)が、それらの名前のなかで、最もポピュラーなようだ。
エジプトに限らずアラブ世界では、祭日にイード・ムバーラクという言葉を、交わすのが慣わしだが、このムバーラクも使わないことにしよう、と言い出す人も現れ、イード・ムバーラク(祭日おめでとう)に代えて、イード・サイード(幸福な祭日)という言い方が、流行ることになりそうだ。
400人あるいは500人の死者を出した、ムバーラク打倒の大衆蜂起の結果は、改名ごっこと、祝日の挨拶を変えることのみで、終わるのではないか。いままでのエジプトの社会習慣から考えても、公務員の安給料から考えても、庶民の生活苦を考えても、汚職が消えるとは到底考えられない。カラミーヤ(施し)という美名の賄賂は、ムバーラク後もエジプト社会のなかに、しぶとく生き残っていくのではないか。
失業の解消の可能性は、社会不安のために観光産業が停滞し、逆現象を起こしていようし、経済問題の解消も、先進各国の経済状況が悪化していることから、援助の増額を期待できない以上、改善されるとは思えない。
エジプトの大衆蜂起(革命)は、つまり何モノも庶民にはもたらさなかったということではないか。庶民が手にしたのは、革命による自由と発展という幻想でしかなかったのであろう。それはチュニジアも同じだろうし、これから本格的に展開されていくであろう、リビアやイエメンでも、バハレーンやヨルダン、シリアやパレスチナでも、同じではないのか。