シリアのアサド体制が父から子に受け継がれてから、既に11年の歳月が経過しているということを、今回のシリアの反政府運動を機に思い起こした。既にそんな時間が過ぎ去っていたのだ。
シリアのアサド体制は、父ハーフェズの時代にも、子バッシャールの時代にも、決して国民にとって歓迎できるものではなかった。国民に対し厳しい対応を採ることによって、アサド体制は体制を維持し続けて来れた、というのが正しい判断であろう。
その厳しい国民に対する締め付けが効相して、これまで体制が保たれてきたシリアも、チュニジアとエジプトの大衆蜂起の影響を、受け始めている。シリアの首都ダマスカスの南部、ヨルダンに近いデラアの街で、反体制デモが始まり、次第にシリア各地に広がりつつあるようだ。
反体制デモはデラアの街に加え、シリアの主要港のひとつであるラタキア市、かつてハーフェズ・アサド大統領の時代に、3万人を殺害するという、大虐殺が起こったハマ市、ホムス市、そして首都ダマスカス市でも起こっている。
シリア政府はこの反体制の大きなうねりを、真剣に受け止めたようだ。シリアの体制が最も警戒している、イスラミストを刑務所から釈放する、という決定が行われたことが、それを裏付けていよう。
シリアのアサド大統領はシリア国内で、10パーセント程度を占める、シーア派マイノリテイのアラウイー派であり、シリア国民のほとんどはスンニー派なのだ。しかも、シリアのスンニー派の中には、ムスリム同胞団のメンバーが、非常に高い割合を占めているのだ。
今回ラタキア市で始まった反政府デモは、そのムスリム同胞団のメンバーであり、エジプトからカタールに亡命している、著名なイスラム法学者カルダーウイ師の、金曜礼拝での講和の後だった。
カルダーウイ師は「今日革命の機関車は、遂にシリアに到着した、殺害される者が出れば、革命は勝利に繋がろう。」と語ったのだ。つまり血の犠牲が出れば、国民は激高し、体制は打倒されるということだ。間接的ではあれ、彼はデモ参加者のなかから、犠牲者が出ることを期待したのだ。
このカルダーウイ師の発言を受け、シリアのスポークス・ウーマンであるシャアバーン女史は「難民キャンプから武器を持ち込んだパレスチナ人が、デモ隊に発砲したために、犠牲者が出たのだ。」と反論し、ラタキアのデモはカルダーウイ師の講和の後に始まったことから「カルダーウイ師がデモを扇動したのだ。」と非難している。
シリアのアサド体制が民主的であるか否かは別にして、このシャアバーン女史の発言には、真実があろう。確かにカルダーウイ師の発言は、デモを扇動したと思われるし、カルダーウイ師にはデモを扇動する、意志があったと思われる。彼はエジプトでムスリム同胞団として活動し、遂にはカタールに亡命した、バリバリのムスリム同胞団のメンバーであり、シリアでは多くのムスリム同胞団のメンバーが、逮捕され投獄されているからだ。
革命は一発の銃声から始まる、とはよく言われる言葉だが、シリアの場合もデモを過激化していくために、然るべきグループのメンバーが発砲し、デモ隊に犠牲者を出させた、と考えても不思議はあるまい。
もちろん、このことについて真実を確かめる手段はない。多分将来もこのことについては、明らかにならないだろう。もし、革命が成功すれば、体制側が発砲した、という認識が固定化するだろうし、逆に体制が維持されれば、政府側の警察や軍人によるものではなく、あくまでもデモを扇動する側の、仕業であった、という認識が定着しよう。
世界の報道は事実の確認が出来ないままに「デモ隊に対する発砲は体制側による。」というものになりやすい。いずれにしろ、今回の発砲事件はシリアの今後にとって大きな意味を持つことになりそうだ。