「オマル・モクタールの孫が語る反カダフィ」

2011年3月26日

 多分、このブログをお読みくださっている、読者の皆さんはご存じないと思うが、リビアの革命といえば、欠かすことの出来ない人物がいた。彼は「砂漠のライオン」というあだ名がつけられ、イタリア側から恐れられていた。

 イタリアがリビアを植民地支配している時代に、イタリアに対する独立闘争を展開し、最後にはイタリア軍に捕まえられて、絞首刑(1931年処刑)に処せられた人物だ。オマル・モクタール師が逮捕され、処刑されたのは、彼が73歳の高齢(当時のリビアとすれば)に達したときだった。

 その後、リビア人の間には独立の精神が高まり、第二次世界大戦が終了した1951年に、リビアは王国として独立することが可能となった。オマル・モクタール師は言わばリビアという国家の、生みの親のような人物であり、リビア人はカダフィ大佐を含め、彼を無視することも、否定することも出来ない。

 イタリアの圧制に対する抵抗の中で、8万人のリビア人が殺されたのだから無理もあるまい。その抵抗独立闘争を指揮し、先頭に立って戦ったのが、オマル・モクタール師なのだ。

 そのオマル・モクタール師(1858年生まれ1931年死去)の孫が、今回のリビア動乱の中で口を開いた。その発言の持つ意味は、大きいと思われる。彼はオウド・モクタールという名の69歳の男性で、現在はビジネスを展開している。彼はイギリスのエクスター・スクールを卒業している、西側先進国で教育を受けたインテリだ。

 彼オウド・モクタール氏は「もし自分の祖父が生存していたら、カダフィ体制打倒に立ち上がっただろう。」と発言したのだ。

 オウド・モクタール氏が言わんとするところは、現在のカダフィ体制はリビア国民の敵だということだ。ところが、そのカダフィ大佐が、オマル・モクタール師をリビア革命の、大先輩として尊敬し、自分はその次のリビア革命の指導者だ、と位置づけているところに問題がある。

カダフィ大佐はオマル・モクタール氏の肖像を、10デナール紙幣に用い、自身の肖像画は50デナールに用いることによって、自分自身と自身の革命に、威厳を持たせようとしたようだ。

 オマル・モクタール氏の孫が、カダフィ大佐を完全にリビア人の英雄でも、革命の指導者でもないと切り捨て、それどころか、リビア国民の敵だと位置づけ、打倒すべきだと発言したのだ。

 このオウド・モクタール氏の発言は、今後、NATO軍の攻撃と合わせ、ボデー・ブローのようにじわじわと、カダフィ体制にダメージを、与えていくのではないか。