「サウジアラビアの限界と間違い」

2011年3月19日

 3月18日、サウジアラビアのアブドッラー国王が、国内改革の新方針を発表した。それは簡単に言ってしまえば、国民の政治に対する不満を、経済でカバーする、ということではないか。

 アブドッラー国王が打ち出した、新方針とは以下のようなものだった。

・治安部隊における6万人分のサウジ人新規雇用

・勧善懲悪委員会の国内の新支部設立

・軍隊や治安部隊を含む全ての公務員に対する基本給2ヶ月分の追加給与

・大学生に対する約500ドルの特別手当支給

・サウジ人失業者(求職者)に対する月額2000リアル支援金支給(失業手当)

・全ての職種においてサウジ人の最低賃金を3000リアルとすること

・サウジ人低所得者向け50万戸の公営住宅建設のための2500億リアル(=667億ドル)の追加支出

・サウジ人向け住宅ローンの財源拡大と住宅ローン引き上げ(上限は30万リアルを50万リアルに)

・不正摘発闘争委員会の新設

160億リアル(43億ドル)の追加支出による医療施設の拡大

5億リアルの追加支出によるモスク新設と修復

5000万ドル追加支出によるイスラームセンターの新設

・民間セクターに対して更に多くのサウジ人を雇用するために圧力をかける。

・生活必需品価格を値上げしようとする商売人への取締り強化

        バハレーンおよびオマーンへの支援のための基金設立(200億ドル規模)

この新提案の中には、何処にもサウジアラビアの民主化や、政治的自由化は含まれていない。サウジアラビアがバハレーンに、軍隊を派遣することを決定した段階で、アブドッラー国王はカダフィ大佐と同じ、力による政治を選択したということだ。

 バハレーンを自国領土と考えている、サウジアラビアがバハレーンに軍隊を派遣し、シーア派国民を力で押さえ込むことと、カダフィ大佐が反政府勢力を力で抑え込もうとしたことの、何処に違いがあるのだろうか。あまり無いように思えるのだが。

 そうであるとすれば、その付けは形を変えて、サウジアラビアの体制に影響を及ぼすことになろう。アメリカはバハレーンに対しても、サウジアラビアに対しても、政治的改善を求めていたのではないのか。つまり、サウジアラビアのバハレーンへの派兵と、今回アブドッラー国王が発表した国内政策の改善は、全くアメリカの考えとは、合致していないのではないか。

 最近になって、サウジアラビア政府はアメリカのアドバイスを、聞き入れなくなってきている、と言われている。その結果として、アブドッラー国王はゲイツ国防長官やクリントン国務長官との会談を、望んでいないとも言われている。

 サウジアラビアやバハレーンは、最大の擁護者であるはずのアメリカの助言を、何故こうまでも頑なに、聞き入れないのであろうか。それには両国の苦い経験と、記憶があるからであろう。

 エジプトの国内情勢が不安定化し、ムバーラク大統領が窮地に追い込まれたとき、サウジアラビアはアメリカに対し、ムバーラク大統領支援を依頼した、と言われている。しかし、アメリカはムバーラク大統領を支援するのではなく、民主化運動の側を支援したのだ。

 その結果、サウジアラビアやバハレーンは、自力で体制を守ることを、選択したのであろう、と言われている。その体制維持の方法として、サウジアラビア政府が執ったのが、経済改善と国民に対する福祉、ということであろう。

 しかし、アメリカの要人たちの頭の中では、民主化を進めないアラブの体制は、崩壊すべき運命にある、ということではないのか。アメリカはリビアに対して、力による体制崩壊を、ヨーロッパ諸国と共同で、進めようとしている。アメリカや世界の人たちは、アメリカのダブル・スタンダードな対外政策を、受け入れるとは思えないし、そのことをアメリカが、一番分かっていよう。

 つまり、アラブの幾つかの王制諸国は、今後厳しい状況に追い込まれていく、運命にあるということだ。