「トルコのレスキュー・チームに感謝の夕食会」

2011年3月17日

 東北大地震、そして津波が起こったのは金曜日だった。その翌日の土曜日に、トルコのレスキュー・チームとマスコミのグループが、イスタンブールを出発し、日曜日には既に、日本に到着していた。

 レスキュー・チームは5人、ハバル・トルコ・テレビとサマニヨル・テレビ(STV)、そしてザマン新聞のメンバーが合計4人、全部で9人の構成だった。レスキュ-・チームはキムセヨクムという名の組織で、災害が起こると、世界中の何処まででも、真っ先に駆けつける人たちだ。

このキムセヨクムという組織は、最初に調査チームを送り込み、災害地で何が必要かを確認して帰国すると、全国民に呼びかけて寄付を集め、災害地に送る方式をとっている。

 キムセヨクムという言葉の意味は「誰かいませんか?」という意味だが、1999年にトルコで大地震が起こったときに「誰か閉じ込められたり、下敷きになっている人はいませんか?」「誰か手伝ってくれる人はいませんか?」という言葉が飛び交い、それがこの支援チームの、名前になったのだそうだ。

 彼らは小池百合子議員の協力を得、原宿警察から高速道路通過許可を取り、仙台まで行ってくれた。(小池百合子議員は1999年に、イスタンブールを含むトルコ西部で大地震が起こったとき、最初に駆けつけてくれた人だ。)

その後、東京に戻り、早い者は3月17日に帰国しているが、残ったメンバーも、3月18日にはイスタンブールに発つということで、彼らと17日の夕食を共にすることにした。

 夕食時トルコの大の男たちが、涙ぐみながら仙台で見た惨状を報告してくれた。トルコ・レストランでは、トルコのテレビ・ニュースが映されていて、トルコ政府は日本人の犠牲者に対する哀悼の意を込めて、3月18日から21日まで、半旗を掲げることを、決定したと伝えていた。

 トルコの人たちは日本人の礼儀正しいことや、秩序正しいこと、冷静なこと、奉仕の精神に優れていること、などを賞賛してくれた。そのなかで、彼らは他の国の場合、支援物資の受け取りの場で、けんかが起こることは当たり前であり、ひどい場合には、若い女性や子供を誘拐して、売り飛ばすという犯罪も、起こっていると語っていた。

 このレスキュー・チームのメンバーは、皆ボランテアであり、各々が職業を持っている人たちだ。そのため支援の場に長居することはない。現地の情報を集め終わると、直ちに帰国し、支援を自国で募って、それが揃うとまた現地に飛び、最小限の期間にそれを配布して引き上げる、という方式をとっている。 

日本に存在するボランテアNGO を語って、それを職業にしているような人や団体は、トルコには存在しないのだ。

 もうひとつトルコと日本の違う点は、トルコではこうした災害支援の寄付金は、皆免税になっているため、結構寄付金は集まりやすいのだ。日本のように寄付をしても、それが免税にならないと、寄付金はおのずから小額になる。

 政府が税金をしっかり徴収するために、支援が遅れたり、民間の支援金が集まり難かったりするのは、ボランテアの精神を政府が持っていない、ということではないか。全ては国家が管理する、という悪弊のように思えてならない。それと日本の場合、大規模な団体は集められた寄付金の、相当額は事務費と人件費に、割り当ててしまっているのではないか。

 この際、もう少し自由に民間が支援活動できるよう、政府は寄付金を免税にすること、勤め人がボランテアで活動する場合は、1週間から10日間を公休と認めること、などを決めるべきではないのか。 

 トルコには幾つもの、民間ボランテア団体が存在するが、それらの団体は外国に、高校大学を何十何百と建設し、教育資材から何から何まで、寄付金でまかなっている。世界に誇る大企業トヨタですら、外国に寄付した大学は、幾つあるのだろうか。どうも日本人の発想は、極めて島国的な気がしてならないのだが。今回の災害を機に、こうしたことも考え直してみて欲しいものだ。