「エジプト若手ムスリム同胞団メンバーの動き」

2011年3月14日

エジプトのムスリム同胞団の青年メンバーが、ムスリム同胞団とは別の動きを始めたようだ。それは、1月に始まった大衆蜂起(革命)の運動のなかで、ムスリム同胞団が出遅れ、一般大衆の支持を拡大することが、出来なかったからだ。

 ムスリム同胞団の青年メンバーは、1月25日に始まったタハリール広場での抗議集会に、初日から参加したが、ムスリム同胞団本部はその3日後に、やっと重い腰を挙げて参加したのだ。このため、ムスリム同胞団は完全に、この大衆運動の流れに、乗り遅れてしまったということだ。

 実は、ムスリム同胞団の大衆からの支持が、それより前から低下していた、という事実がある。それは、例えば2005年の選挙では、創造的でも活動的でもないことから、支持を下げていたというのだ。

 2008年にマハッラ・エルクブラにある繊維工場で、労働者によってストライキが起こされたとき、ムスリム同胞団はこれに支援を送らず、部外者の立場を決め込んでいたのだ。

 従って、ムバーラク大統領が懸念していたほど、ムスリム同胞団は国民の支持を受けた組織では、無くなっていたということだ。その傾向は、革命達成後のいまも、変わりはない。

 革命が成功した後は、エジプトの実権をオマル・スレイマーン副大統領を代表とする、軍部が握ったわけだが、ムスリム同胞団はその最高軍事会議が呼びかけた対話会議に、率先して参加している。このことも、国民を失望させたのではないか。

 最高軍事会議が憲法改正をめぐり、ナセリストとムスリム同胞団から、一人ずつ法律専門家を招き入れて、憲法改正案を出したが、これに反対する者の割合は57パーセント、賛成する者の割合は37パーセントだということだ。

 賛成派は、もしこの憲法が通過しなければ、軍が引き続き権力を掌握し続けることになるからだ。また反対する者はこの憲法が通過した場合、ムバーラク時代同様に大統領の権限が、絶大になるからだということだ。

 ムスリム同胞団のベテランたちは、政府との妥協と駆け引き、交渉によって生き延びてきたことから、こうした選択をしたのであろうが、若いムスリム同胞団のメンバーたちは、これを受け入れ難いようだ。彼らはこれから、独自の動きをしていく、可能性が高い。

 そうした流れのなかで、サダト大統領暗殺犯として、30年間刑務所に入れられていたアブードッザマル師が、大統領選への立候補を検討し始めている。彼はイスラム原理主義系各組織を、大同団結する意向のようだ。

 イスラム原理主義系組織としては、サラフィ系各組織、ガマーアッジハード組織、ガマーアルイスラーミーヤ組織がある。これらの組織を結集し、エジプト国内ではあくまでも、政治闘争を展開し、外的に対しては、武力を行使していく方針のようだ。

 懸念されることは、アブードッザマル氏が大統領選挙に、本当に立候補するのか、彼は大統領選挙に立候補できるのか、もし立候補出来なかった場合、大同団結したイスラム原理主義系各組織は、その後どう活動を展開していくのか。

 ムスリム同胞団の青年メンバーが、ムスリム同胞団の活動に飽き足らず、このアブードッザマル氏の呼びかけに、応えるのではないかということが、懸念される。アブードッザマル氏も元はといえば、ムスリム同胞団の穏健路線に、痺れを切らして飛び出し、サダト暗殺を実行した人物だ。

 どうも、いまのエジプト国内のイスラム原理主義者たちの傾向は、危険な方向に向かっているように、思えてならないのだが。