「リビア革命成功・しかし状況は悪化」

2011年3月13日

 早晩、リビアでは革命が成功するだろう。つまり、カダフィ大佐は失脚するということだ。「万歳リビアの革命闘士諸君。」しかし、もう少し血の犠牲を、払う必要がありそうだね。

 やがて飛行禁止区域が設定され、それがきちんと実行出来るためには、リビアの幾つかの都市と空軍基地、兵器庫が空爆されなければならないだろう。その際に死亡するリビア人の数は、どれほどになるのだろうか。

 そして、カダフィ大佐は彼が死ぬまで、抵抗を続けるであろうから、相当の戦死者が出ることを、覚悟すべきであろう。もちろん、一般市民も犠牲になろう。その後には、NATO軍かアメリカ・イギリス軍が上陸して来よう。

彼らによって殺害されるリビア市民の数も、覚悟しておくべきであろう。イラクの例を見れば、約5パーセントの国民が犠牲になっている。あるいはそれ以上かもしれない、イラクでは100万人以上が犠牲になったのだから。そして、その犠牲はいまだに増加し続いている。

リビアの人口を650万人とした場合、5パーセントの犠牲は33万人程度であろうか?それにリビア国民はあえて、耐えるというのであろうか。

革命が達成された後、リビアの石油収入はカダフィ時代よりも、国民に公平に行き渡るのであろうか。リビア各地で破壊されたインフラと石油施設の再建には、どれだけの資金が費やされるのであろうか。

アメリカやイギリスは、革命達成後のリビアの運営を、全てリビア国民に委ねるのであろうか、それとも、一定期間(?)イラクで行ったように、彼らが暫定統治という名目で、統治し運営するのであろうか。その場合、石油収入は誰が、管理するのであろうか。

革命後のリビア国民は、連帯して国家の再建に向かえるのだろうか。それとも、部族や地域間で対立が激化し、再度殺し合いをするというのであろうか。その犠牲者数はどれだけに、なるのだろうか。

リビアは統一を続ける、と革命派の代表は語っているが、それには力による、統一が必要なのではないだろうか。話し合いでスムーズに行くという保証は、何処にあるのであろうか。

世界のマスコミは、リビアの革命を絶賛している。カダフィ大佐は悪の権化のように報じられているが、結果はリビア国民に、カダフィ統治時代以上の幸福を、もたらすというのであろうか。

イランのパーレビ王制が倒れた後、イランはイスラム原理主義の、支配下にあり、革命の試みが新たな犠牲を、生み出している。

エジプトは革命後、リビアへの出稼ぎ者150万人が職にあぶれている。もちろん、観光客の来訪は途絶え、混乱が続いている。

チュニジアへの観光客も止まり、外国資本の投資も途絶えていよう。チュニジアの場合、リビアの輸出入を代行していた企業が軒並みに、営業停止状態にあるし、出稼ぎも途絶えている。

「必要悪」を無視した、無責任な民主化への革命賞賛が、現実には体制打倒以前よりも、その国の国民を苦しい状況に、追いやるのではないのか。それでも国民がそれを望むのであれば仕方がなかろう。

しかし、外国政府の意向がそう仕向けているのであれば、それは悲劇的な問題であろう。いまリビア国民は、本音のところ、何を求めているのだろうか。あるいは彼らには、自分たちの革命後の将来が、予測できているのであろうか。そうあることを期待したい。