「混乱と情報の規制・日本とリビア」

2011年3月13日

 現状はどうか分からないが、1週間ほど前にリビアのトリポリ市から、日本の戻ったリビアの外交官と連絡した。

 彼はリビアのトリポリ空港から出国してきたわけだが、全く通常と変わりがなかった、と言っていた。そしてアルジャズイーラの報道が、ことさらにリビアの内情を、刺激的に伝えている、と言っていた。

 その後、サウジアラビアにいる友人と、メールでやり取りしたところ、彼の奥さんはパレスチナ人であり、奥さんの兄弟や親戚が、トリポリ市やベンガジ市、その他のリビアの町に住んでいるのだが、何時もと変わりない、と伝えてきたということだった。

 それから時間が経過した今は、どうか分からないが、少なくとも、1週間から10日前のリビア国内の状況は、あまり危険なものではなかった、ということであろう。

 報道が過剰に危険な部分だけを、取り上げるために、外部には危機的状況というイメージをばら撒き、国際社会が騒ぎ過ぎて、国内的に解決できる問題も、解決出来ずに、より悪い状態になることは多分にあろう。

 日本の場合はどうなのであろうか。政治家がパフォーマンスのし過ぎで、現場がかえって混乱することがありえよう。政治家は原発については素人であり、現地に乗り込んでも、出来ることは事情説明を受け「万全を尽くしてください。」「住民の安全を最優先にしてください。」と言う程度であろう。

 マスコミもことさらに、首相や大臣のコメントを、追いかけるのは止めるべきではないか。しかも、その上で報道規制を遵守するとなると、マスコミの意味がなくなる場合もある。

 福島原発については、外国報道は早い段階から、メルトダウンを報じていた。しかし、日本は数時間が経過してもなお、外壁部分に問題がると伝えていた。首相の現地入りによる説明の時間の無駄と、実際の状況説明が遅れたために、被爆者の数が増えたのではないのか。

 リビアの場合は過剰な報道が、事実とは異なることを伝えた結果、状況は悪化して行った。

 日本の場合は、報道規制と政治家の安易な行動が、被害を拡大したのではないか。外国で報じられていることを、あるいは外国人ジャーナリストに伝えていることを、日本のジャーナリストには、伝えていないのであろうか。

 結果的に報道が被害をもたらしている。もう一度、報道のあり方と政治家の行動を、真剣に考えてみるべきではないか。