北アフリカの三つの国で、大衆による革命が起こった。あるいは、大衆蜂起と言えばいいのだろうか。一般にはこの三つの国の革命が同じように、受け止められているのではないだろうか。
しかし、よく見ると各国それぞれに、少しずつ違っているようだ。したがって、それを一緒くたに見ることは、先々に行って間違いに、繋がっていくのではないかという不安が湧く。
最初に起こったチュニジアの場合、軍や警察は抑える側には回ったが、結論部分で、何も役割を果たさなかった。その結果、チュニジアでは革命達成後に混乱が続き、先行きが見えない感じがする。
エジプトの場合は、大衆による蜂起が、最終的にムバーラク大統領追い落としに繋がるのだが、最後の瞬間で、軍がイニシャチブを取る形に、終わっている。したがって、エジプトの場合は、それまでの基本的な内外政策に、大きな変化はあるまい。
中東の要であるエジプトが、大幅に対外政策を変えるようでは、世界は混沌の渦の中に、巻き込まれる危険性があるから、当然であろう。
革命後、エジプト政府は何度となく、多くの要人の口を通じて、キャンプ・デービッド合意に変更はない、と語らせている。それは世界に対する、最も重要なアピールであろう。
リビアの場合は、チュニジアやエジプトの場合とは異なり、大衆が動き出した始めの瞬間から、武器が取られ、戦闘が始まっている。つまり、平和的な抗議集会など全く起こらず、初めの段階から体制打倒が、露骨に出ていたのだ。
このことは、多分にリビアの蜂起の場合、大分前から準備されていたのであろう、という推測が成り立とう。それと同時に、外国の関与があったのではないか、あるいは今の段階であるのではないか、とも思われる。
石油の産出国であるリビアは、リビア国民の間でも、外国の側からも、極めて魅力的な国なのであろう。であるがゆえに、最初の段階から露骨な行動が、見えたのではないかと思われる。
北アフリカの三カ国で起こった大衆蜂起は、それぞれの国の事情によって、実は全く内容を異にしている、ということに気が付き、その後を推測すべきではないのか。