エジプトにはおよそ10パーセントの、コプト・キリスト教徒が住んでいる。彼らはムバーラク体制のころからも、それ以前の体制のころからも、マイノリティとして差別されてきている、と訴え続けてきている。
そのため、コプト・キリスト教徒とイスラム教徒との間では、何度となく衝突事件が起こり、その都度数人の人たちが死亡し、数十人の人たちが負傷するということが、繰り返されてきていた。
エジプトで大衆蜂起が起こり、その後、エジプト国民の間には、極めて不安定な状況が生まれている。革命が成功した結果、誰もが自分の主張を通そうとする風潮が広がり、イスラム教徒同士でもコプト・キリスト教徒同士の間でも、あるいはコプト・キリスト教徒とイスラム教徒の間でも、暴力事件が頻発しているようだ。
警察はこうした暴力事件について、あまり厳しい対応を取っていないようだ。それは革命騒ぎのとき、警察が厳しい取り締まりをした結果、「警察は国民の敵だ。」というイメージが定着したため、警察は危険で取り締まりが、出来なくなっているのだ。
そのことは、イスラム教徒とコプト・キリスト教徒との対立にも影を落とし、衝突事件が増えているということだ。1月にはアレキサンドリアのコプト・キリスト教会が放火され、23人の死者を出している。その後にはヘルワーンのコプト・キリスト教会が、焼き打ちに会っている。
3月9日にも、コプト・キリスト教会が放火されたことに対する、抗議集会が開かれたところ、イスラム教徒側がこれに攻撃を加え、暴力沙汰に発展し1人が死亡し、数十人が負傷するに至っている。
この場合は、異なる宗教徒による対立だが、それ以外の要素による暴力事件も、今後増えていくのではないか。それは革命によって、自由を勝ち得たと思う人たちの言動に、ブレーキが掛かり難くなっていることに加え、革命の成果が何一つ、庶民の手に届いていないことなどによろう。
革命の成果は勝手気ままな言動を、エジプト国民にもたらし、警察は腰が引けた対応しかできない。そのため、先日カイロに住む友人が知らせてきたカイロの状況は、まさにカオスだというのだ。
それは革命の当然の帰結ではあろうが、何時までその状態が続くのかということが問題だ。長期化すれば再度革命が取り沙汰されるのではないか。結果的に、エジプトは長期間にわたる不安定な状況が、生まれるのではないか。