ペルシャ湾の南側に位置する小国バハレーンは、湾岸諸国のなかで最初に石油生産を始めた国だ。そのため、まだ石油を生産していなかった周辺の国々の、有為な青年たちに、奨学金を送ったのはこの国だった。
そのことがあり、その上で湾岸の国々は、ひとつでもこの地域の王国が消えることを、極力避けようとしている。もし、ひとつでも王国が崩壊すれば、次第に自国の存在が危うくなるからだ。
サウジアラビアはこうした事情から、ほとんど石油生産が不可能になったバハレーンに石油を送り、バハレーンが今でも産油国である、という形を維持しているといわれている。
また、サウジアラビアはバハレーンとの間に、コーズウエーという名の橋を架け、サウジアラビアとバハレーンを陸繋ぎにしてもいる。つまり、バハレーンとサウジアラビアは、このコーズウエー橋で繋がり、一つの国のような状態になっているということだ。
バハレーンでは飲酒が可能であり、夜の楽しみも期待できるという話だ。このため、サウジアラビアから沢山の男性が、バハレーンに押しかけているということだ。言ってみれば、バハレーンはサウジアラビアのガス抜き場であり、日本で言う長崎の出島のような存在なのであろう。
そのサウジアラビアの領土の一部のような状態にあるバハレーンで、シーア派国民による体制非難のデモが始まり、日に日に激しさを増している。サウジアラビア政府はこれを危険視し、軍隊の派遣も含むバハレーン体制の支援に乗り出し始めている。
最近では戦車を送ったという情報も流れたし、サウジアラビアのナーイフ内相は「バハレーンの安全はサウジアラビアの安全だ。」と語り、サウジアラビアとバハレーンが一体だということを強調した。
そうした中で、バハレーンではシーア派国民が、明確に国王の追放を叫び始めている。これまでは政府に対する不満と抗議で留まっていたのが、ここに来て国王の追放が叫ばれるということは、バハレーン王制の先が見えてきたということではないか。
その場合、サウジアラビアにどのような影響が出てくるのだろうか。バハレーンの問題が、バハレーンだけで留まるのか。サウジアラビアに影響してもそれは、シーア派だけで留まるのか。あるいは、スンニー派国民の間にも、反体制の動きが広がるのか。状況は危険の度を増してきているのではないか。