エジプトで大衆蜂起がおこり、ムバーラク大統領は30年に及ぶ統治を、終わらせられた。しかし、それは本格的なものではなかった。
ムバーラク大統領が大統領職から退いたのは、彼の口から語られたのではなく、ムバーラク大統領が副大統領に指名した、オマル・スレイマーン氏によってだった。
ムバーラク大統領は辞任声明を出さなかったし、国外に亡命をすることも、無かったのだから、いまだに彼の頭おなかでは、大統領職に留まっているという勘違いが、起こっていても、不思議はない。
ムバーラク大統領は体調が芳しくないことから シナイ半島のシャルム・エルシェイクにある、別荘に療養に行った。彼の後は、オマル・スレイマーン副大統領とタンターウイ国防大臣、そして、アハマド・シャフィーク首相が任された。
三人とも、ムバーラク大統領の指名で、就任した人たちだった。しかも、与党はそのまま与党で残り、官僚のポストのほとんどは、変わっていないだろう。閣僚のポストは変わったと言っても、それも一部であり、相変わらずの顔ぶれが、並んだということだった。
エジプトの場合は、幸いだったのは、軍に対する国民の信頼が、厚かったことだ。その軍がムバーラク退陣後に、責任あるエジプトの核と、なったことであったろう。つまり、体制がしっかりしていたために、革命後の混とん状況は、起こらなかったということだ。
しかし、これでは何のための革命だったのか、と誰もが冷静に考えれば、いぶかることになろう。そうした中で、発表されたのが、今回の人事だった。つまり、アハマド・シャフィーク首相が辞任する、ということだ。その発表は軍の最高機関によって、なされたのだ。
それでもいいとしよう。ムバーラク大統領が指名した首相が、そのまま首相の座に座っていたのでは、何のための革命であったのかが、分からなくなるからだ。もちろん、私自信は革命騒ぎの中で、軍がソフト・クーデターを行ったのが、今回のエジプト政変騒ぎだった、と思っている。
しかし、いずれにしろ、少しずつではあるが、エジプト状況は変化している。それは緩やかではあるが、確実なものになって欲しいものだ。エジプトの民は、穏やかなナイル川の流れに、学んでいるのかもしれない。