「聞こえ始めてきた米軍のリビア侵攻」

2011年3月 1日


 既に、何人かのリビアに関心を持つ人たちの間では、語り始められてきていたことだが、ここにきて、明確にアメリカのリビアに対する、軍事侵攻と占領が、話題に上り始めておる。

 ひとつは、イスラエルのハアレツ紙が「アメリカはリビアに対する軍事オプションを討議し始めた」という記事であり、もう一つはトルコのトデイ・ザマン紙が掲載した「首相NATOの介入に反対」という記事だ。

 いずれの記事も、アメリカやNATO諸国が、リビアの状況は凄惨なものであり、放置できないから、軍事介入してカダフィ体制を打倒しよう、という意志があることを示している。

 しかし、トルコのエルドアン首相はこのNATOや、アメリカのリビアに対する軍事介入に、真っ向から反対している。なぜならば、それは人道的な見地からというよりも、石油の支配に、第一の目的があるからだというものだ。

 エルドアン首相はアメリカやNATO諸国が、他の国々への人道的介入はあまり積極的ではなく、産油国に対する介入に積極であることを、ダブル・スタンダードだ、と非難してもいる。

 リビアが凄惨な状況にあるであろうことも、今後、ますます凄惨の度を、増すことも予測されるが、リビア国民はいま、必死で自分たちの手で、カダフィ体制の打倒を、試みているのだ。

 彼らリビア国民に、もう少し時間をやるべきではないのか。リビアがアメリカ軍の軍事介入により、多数の犠牲者を出し、次いで占領された状態が続くとすれば、それはイラクの二の舞ではないか。

 それを正当な行為として認める国は、世界では少数なのではないか。日本は盲目的に、アメリカ追従だから、多分沈黙を守るだろう。そして、リビア国民の血の代償を、リビア国民にではなく、アメリカと自分に取り込もう、とするだろう。

 日本は大東亜戦争以来、今日までアメリカ軍の駐留を、黙認してきた。それが、より日本にとって得策だ、と考えたのであろう。しかし、当初においてはそうであったかもしれないが、その状況が長期化すると、それを拒むエネルギーは、消滅してしまう。

 そんな繁栄を、リビア国民は望んでいるのだろうか。彼らに自国の運命を決めさせることに、日本は協力すべきではないのか。日本、イラク、そして今リビアが、同じ運命を辿ろうとしているのだから。

 トルコのエルドアン首相は、リビアへの外国軍の軍事介入に、明確に反対している、賞賛すべき発言であろう。