リビアの状況が、流血と虐殺の継続する、断末魔の様相を、呈しているようだ。カダフィ大佐の最終戦争が、始まっているのだろう。いまとなっては、トリポリ市だけがカダフィ大佐の手中にあり、他の地域は、ほぼ反カダフィ派の手に、落ちたようだ。
トリポリ市だけがカダフィ大佐の、コントロールする地域になったが、そのことは、200万人のトリポリ市民が、人質になっているのと、同じことだ。少しでも反対の言動をすれば、たちどころに、銃殺されるということだ。そして、その死体は極めてシステマテイックに、処理されているということだ。
このことは、トリポリで最後の戦いに入ったカダフィ大佐と、その一派を打倒するためには、より一層の犠牲が生まれる、ということだ。それを出来るだけ少なく留めるためには、外部から軍隊が入って、カダフィ派を打倒することだろう。
既に国連で、軍事力を行使することも検討され、アメリカやイギリスは、リビアへの派兵を、検討しているようだ。しかし、アメリカやイギリスがリビアに派兵するということは、これまでのリビアの大衆の犠牲を、全く違うものに、色付けしてしまうだろう。
カダフィ大佐が語ったように、この大衆蜂起は、外国の陰謀であり、アメリカやイギリスが、リビアの石油を狙って、仕掛けたものだということが、カダフィ打倒後に、語られる可能性がある。
それを避けるためには、アラブが軍を派遣することであろう。しかし、アラブ各国は、自国問題で手一杯であり、派兵するには、時間がかかってしまう。
リビアの大衆には気の毒なのだが、結局のところ、リビア人自身がカダフィ体制を打倒するのが、一番いいのではないか。そのための犠牲は、覚悟しなければなるまい。
大きな犠牲を払ったその後に、リビア国民はカダフィ大佐が行ったような、クーデターではなく、大衆の蜂起によって行われた革命、その結果勝ち得た、共和国を樹立すべきであろう。そして、その共和国をきちんと国民の手に、留め置くべきであろう。
諸外国は軍事介入をすることによって、リビア人が払ってきた犠牲を、帳ゲシにすべきではなかろう。リビア国民はそれに自身の手で、結論を出すことを望んでいるのだから。