金曜日は述べるまでも無く、イスラム世界の集団礼拝の日だ。この日、多くのイスラム教徒たちは、モスク(礼拝所=イスラム教寺院)に集まり、昼に集団礼拝を行う。この集団礼拝を禁止することは、どこのイスラム国の政府にとっても、不可能であろう。
アラブ世界で反体制運動が起こった時、この金曜日の集団礼拝の後に、デモ行進をすることが、最も容易な多数の参加を呼び掛けうる、デモになっていった。チュニジアでもエジプトでも同じだった。
このため、反体制運動を指導するグループは、金曜日を「怒りの金曜日」と名付け、大衆の怒りを結集し、抗議行動を計画するようになった。
ヨルダンでもこのところ、毎週のように金曜日の集団礼拝の後に、デモ行進や抗議行動が、行われるようになった。明日2月25日の金曜日も「怒りの金曜日」に反体制側が指定したようだ。そのため、焦りを感じる政府側は、このデモ潰しに、政府側が集めた体制支持デモを計画し、反政府デモに対抗するようになった。
結果的に、政府側と反政府側のデモが衝突し、負傷者が出ることになり、それがますます、反政府側の怒りを強めている。
ヨルダンの場合、最初は部族代表者たちによる、アブドッラー国王の妻、ラニヤ王妃の行動に抗議する内容のものであり、大衆行動に至るほどのものではなかった。しかし、その後の政府の対応が、不十分であったために、部族長たち以外のヨルダン人の間に、怒りが高まり、大衆抗議行動に拡大している。
しかし、ヨルダンの場合唯一、救われる可能性があるのは、抗議がアブドッラー国王自身に向けたものではない、という点だ。ラニヤ王妃に向けた非難や、バケト首相に対する抗議であり、選挙法などの法の改正を求めるものに、とどまっている点だ。
しかし、それもあくまでも、デモを安全圏に置くための手段であり、不満がアブドッラー国王体制に対するものではない、というカムフラージュに過ぎまい。その隠れ蓑がはがされた時、ヨルダン社会で始まっているデモは、本格的な闘争に、変化していくものと思われる。
その段階に至る前に、ヨルダン王家や政府が、適正な対応策をとれるか否かが、この国の体制の存亡を、決めることになりそうだ。ヨルダンも決して、安全圏に留まっているわけではない、ということだ。ヨルダンの国内状況がどの段階にあるのかは明日のデモを見れば分かろう。