何故リビアの反体制運動は、リビア東部が激しいのだろうか。それには歴史的な経緯がある。リビアがサヌシー王家によって、統治されていた頃は、首都が二つあった。西部のトリポリと東部のベンガジだった。
それがカダフィ革命により、トリポリだけが首都となり、その後、トリポリとベンガジをバランスとるために、カダフィ大佐は両市の中簡にある、シルテという街を、新しい首都にすることにした。
しかし、実際にはトリポリが相変わらず、首都であり続け、首都としての機能を持たせるために、インフラが整備され、ビルが続々建設され、ホテルも建設された。しかし、ベンガジは取り残される形になった。
当然、街が栄えることは、仕事もあるということであり、ビジネスマンは儲けることができたが、ベンガジの住民やそれよりも東部の住民には、あまりビジネスチャンスも仕事の機会も、生まれなかった。そして、今回の大衆蜂起となったわけだ。
カダフィ大佐は日を追う毎に、状況が悪化したために、外人部隊を投入したようだ。アフリカから外人部隊が飛行機で、ベンガジの空港に到着し、デモ隊に対する攻撃に取り掛かっている、という情報がリビア内から、伝わってき始めている。
しかし、この外人部隊投入は逆効果を、起こす可能性がある、と在外リビア人専門家が語っている。それは、リビアの軍人がプライドを傷つけられた、ということのようだ。もちろん、それ以前に、多数の同国人を殺すことに、嫌気が差しているのではないか。
カダフィ大佐の強硬手段は、まさに手段を選ばない、というものの様だが、果たしてその結果は、どうなるのであろうか。多分に、リビア国民の反発を強めていく、可能性が高いのではなかろうか。
もし、カダフィ大佐の強硬対応が、成功するようなことがあれば、他の国もカダフィ大佐に習って、強硬手段を執る可能性が、出てくるのではないか。ムバーラク大統領とベンアリ大統領は、そこまでは強硬手段を執らなかった。その結果、彼らは追放されることになったのだ。
もう一点こうした流れのなかで、最終的に軍が大衆の側に立ち、体制を打倒すると、新たな軍人による統治が始まる、ということではないか。エジプトの場合は結果的に、大衆蜂起が軍事クーデターで、結果を見ている。