「アラブ体制打倒の動きにブレーキがかかってきたか」

2011年2月17日

 ヨルダンのベドウイン部族長たちが、アブドッラー国王の妻、ラニヤ王妃の散財振りと、政府のベドウインからの土地取り上げなどに不満を持ち、抗議行動に出た。これは表向き、ラニヤ王妃に対しての抗議であるように見えるが、実際には、アブドッラー国王その人に、向けた抗議であったろう。

 そもそも、ヨルダンのハーシム王家は、現在のサウジアラビアのヘジャーズ地方の王の子息を、イギリスが連れてきて据え付けたものであり、元々のヨルダンの土地の出身者ではない。しかも、アブドッラー国王はアメリカ人の母を持つ、純潔アラブ人ではないのだ。

 もう10年以上昔の話になるが、カイロで知り合ったヨルダン人が、アブドッラー国王のアラビア語能力に、不満を述べているのを聞いたことがある。つまり、国王らしからぬ格式の低いアラビア語でしか、演説できないということのようだった。

 それが事実であるとすれば、現在のアブドッラー・ヨルダン国王は、先代のフセイン国王とは異なり、ベドウインとの関係が希薄なのかもしれない。そうしたことから考え、ヨルダンの王家が、バハレーンの王家と並んで、危険な状況に追い込まれていくのではないか、という懸念を抱いた。

 しかし、その後にヨルダンで起こった抗議デモは、意外に穏やかなもののようだ。輸出入業者の組合員や、各政党の代表者たち、そして女性団体の代表などが、貧困、弾圧、政府の汚職などに抗議してデモを行い、最後に王宮の傍で、座り込みの抗議を行ったようだ。

 その要求のひとつに、国王の権限を縮小しろ、というのがあった。国王が首相を任命する権限を、放棄することが含まれていた。この国王の権限は、1952年に制定されたものなのだが、現在では、国民には受け入れ難いものと、なっているようだ。

 ヨルダンの場合、国王は国民に不満が出てくる度に、首相と大臣の首を挿げ替えて、やり過ごしてきていたためであろう。このため、頻繁に首相が交代させられているのだ。

 今回のヨルダンの抗議デモで感じたことは、今までのような流れとは、質を異にしている、ということだ。いたって理知的で、穏やかなものではないか。その感が正しいとすれば、チュニジアで始まりエジプトに飛び火し各国で起こっている、国家元首追放の、アラブ各国の動きは、ドミノ現象から免れたのではないか。

 もちろん、いまだに国内に鬱積している、問題が大きいことから、火勢を弱めていない国もあろう。ただ、過剰なまでの反体制の動きは、少し収まりかけてきたのではないか。体制側も遅ればせながら、種々の懐柔策を実行し始めてもいる。その効果が一部の国では出るかもしれない。そう期待したい。