「ヨルダン王家爆発寸前」

2011年2月 8日

 ヨルダンのハーシム王家の二人の子息が、現在のサウジアラビアのへジャーズ地方から追われて(イギリスによって引き出された)、アブドッラー王子はヨルダンに、傀儡王(1923年)として据えられたのは、もう大分前の話だ。もう一人のファイサル王子は、イラクの国王(1921年)に傀儡王として据えられたが、イラクでは革命が起こり、三代目のファイサル国王は、イラク国民の手で、殺害されている。

 これとは異なり、ヨルダンではハーシム王家のアブドッラー国王が定着出来、次いでタラール国王、フセイン国王、そして現在のアブドッラー国王と継続できてきたのは、ハーシム王家がイスラム教の預言者、ムハンマドの子孫であるということに由来した。

 ヨルダン地方に住むベドウインの各部族は、預言者の末裔を自分たちの国王に据えることを、名誉と受け止めたのだ。現在の国王の父フセイン国王は、自身の身が危険にさらされる度にベドウインの部落に逃れ、また疲れた心を癒した、と伝えられている。

 しかし、ここにきて状況は一変した。アブドッラー国王の妻ラニヤ王妃の言動が、保守的なベドウインたちを刺激したのだ。彼女は追放されたチュニジアの、ベンアリ大統領の妻レイラや、エジプトのムバーラク大統領の妻ス―ザーンにならって、国際的に活躍し、慈善活動を派手に展開した。

 しかし、それはヨルダンの国民の生活状態を、無視してのものだったため、反発が生まれ始めたのだ。これまでも何度となく、彼女に対する非難が出たが、その都度抑え込まれ、表面化していなかっただけのことだ。

 今回、ヨルダンの主要部族の代表36人が、連名でアブドッラー国王に警告文を発した。それには、ラニヤ王妃の勝手な振る舞いや、不正に対する非難が盛り込まれ、ヨルダン人の威厳の回復、自由、民主主義、正義、平等、人権を回復することが盛り込まれていた。

 ラニヤ王妃はパレスチナ人の家に生まれ、彼女の家族は富豪で知られているが、その一部はヨルダンの国の富を、吸い上げたものであろう。彼女が関係して、農地を取り上げられた者は土地を返せとも要求している。

 しかも、彼女の誕生日のために、莫大な国家の資金が、南ヨルダンで計画されている、彼女の40回目の誕生パーテイに費やされる、とも言われている。

 問題は今回の抗議の中心が、パレスチナからの移住者たちで、都市派の人たちからではなく、元々ヨルダンに居住する、ベドウイン部族長らによって、行われたということだ。

 前述したようにベドウインは、ヨルダンの王家を最終的に守ってくれる、生命線なのだ。その一角が崩れ始めたということは、決して容易なことではあるまい。彼らは、もしラニヤの行動がこのまま続けられ、政府が部族長たちの要求に応えなかった場合は、チュニジアやエジプトと同じ状況になる、という警告をしているのだ。

 ヨルダンのベドウインの割合は、ほぼ国民全体の40パーセントに、当たると言われているが、彼らばかりではなく、都市派のパレスチナ人移住者の中にも、ベドウインの人たちと、考えを同じくする人たちが、多いということだ。

 どこの国でも、権力者の妻が見栄を張り、軽挙妄動することは、大問題に至るということであろうか。ヨルダンの王家を元のへジャーズ地方に戻すという構想は、アメリカの退役大佐が書いた、論文の中に出ていたが、この国の将来も、決して安定してはいない、ということであろう。いま緊急に賢明な政策が、アラブ各国で期待されているということであろう。