「シリアはエジプトより民主国家なのか?」

2011年2月 6日

24日の金曜日、シリアでも民主化運動家によって、シリアの議会前に集結する、大衆デモが企画された。その中心組織は、アレッポのガッサーン・アルジナッジ氏を中心とするものだったが、結果的には大衆動員に、失敗したようだ。

この結果を見て、多くの識者たちは、シリアでは民主化運動は、時期尚早だ、と判断しているようだ。民主化運動組織とシリア国民は、いまだにそのレベルにまでは成長していないし、シリア社会も民主化運動を起こすまでには、熟成していない、ということであろう。

父親のハーフェズ・アサド大統領の死去に伴って、後継者となったバッシャール・アサド大統領は、2000年以来現職にあり、アラブ世界では最も強固な体制、と目されている。

今回、バッシャール・アサド大統領が、大衆デモを失敗させることに成功したのは、厳重な反体制に対する対応に合わせ、国家公務員の給与を、最近、17パーセント引き上げた、効果であろうとみなされている。

もうひとつの、反体制運動が盛り上がらない原因として、識者たちはムスリム同胞団の台頭を、シリア国民が懸念しているからだと見ている。シリアのムスリム同胞団の実力は相当なものだが、それでもバッシャール・アサド体制下では、本格的な反体制運動を起こし、体制打倒に到るほどの力は、いまだに有していないということだ。

エジプトのムバーラク体制は、いまや瀕死の状態に到っているが、バッシャール・アサド体制は磐石だということのようだ。そのことは、エジプトのムバーラク体制のほうが、民主的であるとも言えよう。またシリアの方が、相対的に経済的余裕があるからだ、とも評価することが出来よう。

シリアのアサド体制は、父親である故ハーフェズ・アサド大統領の時代に起こった、ハマ市での反体制運動を、戦車と装甲車で包囲し、街ぐるみ破壊し、鎮圧したことがある、といわれている。それほど厳しい対応を、シリアのアサド体制が執ることを、シリア国民はよく知っている、ということであろうか。

ムバーラク大統領はいま、世界中から独裁者の代表のように非難されているが、果たしてそれほどの悪人なのだろうか。アラブ世界で、誰が一番多くの国民を殺害したのかを、調査してみる機関は、世界にひとつも無いのだろうか。

もしそういう機関があり、そのような調査をすれば、第一の殺人国はアメリカであり、大分下にシリアやその他の独裁国と呼ばれる国が、挙げられるのではないのか。悪名はマスコミが創り上げ、現実の何十倍にも膨らませて伝えられる。そこには真実の報道など存在しないのだ。