2月21日笹川平和財団の主催で、私とチュニジア大使の講演会があった。時間の制約で各国別の説明はできなかったが、反応は極めてよかったと思う。会場にいたアラブの外交官にとっては、少しきつかった可能性もあるが。しかし、私とほぼ同じ考え方を、エジプトのハサネイン・ヘイカル氏がしている。内容は以下の通りだ。
エジプトの大ベテラン・ジャーナリスト、元アルアハラム紙の編集長で、ナセル大統領の講演原稿を書いていた人物、そして情報大臣を務めたハサネイン・ヘイカル氏が、エジプトの大衆蜂起後の状況を見て、彼の意見をアッサフィール紙に寄せている。
彼はムバーラク元大統領がシャルム・エル・シェイクの別荘に、いまだに留まっていることの、危険性を指摘している。当然であろう。彼はそこからいまだに、軍や情報機関、警察に対して、指示できる立場にいるのだから。
ハサネイン・ヘイカル氏はムバーラク氏が、エジプトに留まりたいのであれば、シャルム・エル・シェイクではなく、アレキサンドリアだっていいではないか、と皮肉っている。しかも、彼はシャルム・エル・シェイクがイスラエルに近く、アメリカの保護下でもある。その上、空港がすぐそばにあり、何時でも外国に逃れられる、ということを暗に指摘している。
ハサネイン・ヘイカル氏によれば、エジプトの大衆蜂起は、大衆による革命という判断が一般的になっているが、それは違うと言いたいのだろう。大衆蜂起が激しさを増した後、ムバーラク氏は大統領の地位から降りる、と宣言し、軍に全権を委ねたのだ。
その結果、エジプトの最高権力者になったのは、タンターウイ国防大臣であり、彼はムバーラク氏が指名して、国防大臣になった人物だ。もちろん、ムバーラク氏とタンターウイ国防大臣との友情は、ムバーラク氏が大統領でいる間、ズーーッと続いていたのだ。
今後、エジプト国内は混乱が続こうが、そのなかで大衆が革命の美酒の酔いからさめたとき、社会の混乱が続いていることに気が付こう。そこからがムバーラク大統領の、本当の勝負が始まるのかも知れない。
ムバーラク氏には、御簾の後ろから、今でも軍を動かす力が、残されているということだ。
エジプトの大衆が大衆革命に成功したというのなら、なぜムバーラク氏を逮捕し、カイロに連れて来られないのか。彼は結果的に、360人以上のエジプト国民を殺したのだ。裁判にかけられて当然ではないのか。
大衆革命ツイッターとフェイスブックの裏で、何がどう動いているのかを考えてみるべきだろう。もちろん、アメリカやイギリスの思惑が、どう今回の一連の動きに、絡んでいたのかも含めて。