アラブ世界では、野菜売りの青年が、チュニジア革命のシンボルとなり、革命そのものは、チュニジアの国花にちなんで、ジャスミン革命と命名された。チュニジアで起こったことは、アラブ世界でブームになり、チュニジアの野菜売りの青年の後を追う、焼身自殺が頻発している。
このチュニジアの革命の感染を、何とか止めたいと、アラブ各国首脳は望んでいるだろう。それに対応する唯一の方法がある。それは、チュニジアで革命が起こったために、あの国がめちゃめちゃになるように、働きかけることだ。
イギリスからは、長い間亡命生活を送っていた、ベン・アリ元大統領の政敵ラーシド・ガンヌーシ師が帰国しそうだ。彼はベン・アリ後の体制について、きわめて批判的な発言を、繰り返している。
それ以外にも、幾つものグループが、いまだに不満を持っているだろう。なぜならば、ベン・アリ後を仕切っているのは、ベン・アリ体制下で要職に就いていた、首相や国会議長たちだからだ。
そのことに加えて、混乱状況にあるチュニジアには、アルカーイダ(?)のような外国勢力も、浸透しやすいだろうし、アルカーイダのような組織が、そこに拠点を構えようと思うのは、当然の成り行きであろう。
つまり、アラブ各国はチュニジア問題に介入し、新しいチュニジアがうまく機能しないように、工作することが、チュニジア革命の自国への伝染を、阻止する手段だということだ。ベン・アリ体制は打倒したものの、その後のチュニジアが流血を繰り返す、惨劇の場となるのでは、他のアラブの国民は、決して、チュニジアのような革命は起こすまい、と考えるのではないか。
イラクのサダム体制が打倒されてから、すでに8年の歳月が経過しているが、イラクでは毎日のように、爆弾テロが起こり、罪のない市民が、何十人も犠牲になっている。
内心ではイラク国民の多くが、サダム時代の方が、平和に暮らすことが出来た、と感じているのではないだろうか。しかし、いったん車が回り始めると、悪の連鎖は止め難い。
イラクの国内情勢が安定し、国民が平和に生活できるようになるのは、まだまだ遠い先のことであろう。イラクの場合はアメリカという外国勢力によって、変革がもたらされたわけだが、チュニジアの場合は国内、しかも国民の手によって、変革はもたらされたのだ。したがって、それを未然に防ぐことも、政府にも国民にも出来たはずだ。
アラブ諸国は自国の安定のために、チュニジアを流血の惨劇の場にする気があるのか、あるいはチュニジアを放置するのか、あるいはチュニジアを支援し、一日も早い平穏な生活に戻るよう援助を送るのか。その選択を決めるのは、アラブの大衆と権力者たちによろう。