「バラクの離党とイスラエルのイラン対応」

2011年1月18日

 元イスラエルの首相を務めたことのある、労働党の党首エフド・バラク国防相が、労働党から離党することを発表した。一体、これは何を意味しているのだろうか。そして彼に追随して、4人の労働党議員も、離党を発表している。

 エフド・バラク氏の離党の裏では、ネタニヤフ首相とエフド・バラク氏との、秘密交渉があったということだ。つまり、労働党を抜けた後、エフド・バラク氏はネタニヤフ政権を、支持していくということだ。実際に、労働党からエフド・バラク氏に加え、4人が離党したことで、ネタニヤフ政権はより安定した、強固な政権となることが、予測されている。

それは、エフド・バラク氏が離党した後、彼と彼の仲間の国会議員が、新党を結成し、ネタニヤフ政権と連合を、組むことになるからだ。その新党は「民主的で中道のシオニスト党」と説明されているが、相当に強硬な政策を展開する、右派政党になるのではないか。

エフド・バラク氏はこの労働党からの、離党宣言の前に、アシケナジ参謀総長を首にしている。その理由は、アシケナジ参謀長がイラン攻撃に、消極的だったからだ、と言われている。

イランが核兵器の開発を、進めることを阻止するために、事前に攻撃するべきだ、と強く主張していたのは、イスラエル政府内にあって、ネタニヤフ首相とエフド・バラク国防相だった、と言われている。他方、イラン攻撃に消極的だったのは、モサドやシンベトといった情報機関だった、という説がある。

 しかし、この情報をそのまま、鵜呑みにするわけには、いかないのではないか。モサドはイランが核兵器を造ることが、2015年まで遅れるだろう、という予測を出している。

 そのことは、言葉を代えて言えば、2015年までにイランの核施設を、攻撃しなければならないという、イラン攻撃のタイムリミットを、発表したのであって、2015年までイスラエルが、イランの核施設を攻撃しなくていい、という意味ではあるまい。

 一見、朗報のように思える2015年説は、攻撃の期間が極めて限られている、ということを意味していたのではないか。そこで、急いでイラン攻撃の準備をする必要があると考えたのが、ネタにヤフ首相でありエフド・バラク国防相だった、ということだ。

 そう考えると、今回のエフド・バラク氏の労働党離党は、イランに対するイスラエルの攻撃の時期が、早まるということを、予測しなければならない、出来事ではないのか。一般では、イスラエルによるイラン攻撃は、もう立ち消えになった、と言われているが、それほどイスラエルは、楽観的に動く国ではないことを、肝に銘じておくべきであろう。