チュニジアで起こった変革(革命)が、相当の動揺と不安を、アラブ各国のエリートたちに与えたようだ。エジプトからは「チュニジアで起こったことが、他のアラブの国でも起こる、と考えるのは馬鹿げている。」と猛反発する意見が、アブルゲイト外相の口を衝いて出ている。
いまのところ、一部の国民がカイロのチュニジア大使館前で、今回の変革を支持するシュプレヒコールを繰り返し、「ムバーラクは辞めろ。」「チュニジアの次はエジプトだ。」と叫ぶに留まっているが、それがどう拡大していくかは、まだ見当がつかない。
そうしたデモが出来るだけ、エジプトもタガが緩んできている、ということではないか。それは、エジプトで起こることも、チュニジアで起こったことも、今の時代は、ツイッターやフェイスブックで、世界中に筒抜けになるからであろう。体制側が下手な弾圧を加えようものなら、その体制は寄ってたかって、世界から非難されることになるからだ。
カダフィ大佐はベンアリ大統領を庇う発言をし「彼は立派だった。」と褒めている。確かにベンアリ大統領もカダフィ大佐に比べれば、民主的だったのかもしれない。そのことと合わせ、チュニジアはリビアにとって、出島のような国であり、属領的な色彩が強かった。
リビアの貿易商は自国よりも、チュニジアで事務を進めたほうが、輸入が手っ取り早いとしていたし、一般国民にとっては、簡単に行ける大っぴらに、酒を飲める国でもあった。
そのリビア国民が享受していた自由が、チュニジアの混乱によって、当分の間不可能になるということは、リビアの体制にとっては、危険な要素であろう。
アルジェリアでは益々反体制の勢いが、強くなってきているが、それはやはりチュニジアでの、激変の影響である、ということは否めまい。
アメリカはこうした変化について、まだまだ実情が、分かっていないのではないか。クリントン国務長官が「国民との対話」「青年との協力」といった軌道修正を提案しているが、アラブ各国の体制は、そんな程度で国民に許されるほど、軽い弾圧を加えていたわけではない。
アラブ人の気性も、そう生易しいものではないのだ。つまり、イエスかノーかという、究極の答えを出すまでは、なかなか妥協は生まれない。もしそうでなければ、アラブ各国の政治はもっと以前の段階で、民主化を進めてこれていたろう。
つまり、アメリカはアラブの何たるかを、分かっていない、ということであろう。その意味では、エジプト政府が言った「欧米はアラブに余計な口出しはするな。」は正解であろう。