「怪情報か?真説か?R・ハリーリ首相暗殺の真相」

2011年1月16日


 レバノン国内はいま、極めて危険な状況に突入しかけている。それは、レバノンの故ラフィーク・ハリーリ首相の暗殺容疑者を、オランダのハーグ裁判所で裁くか否か、という問題から始まっている

故ラフィーク・ハリーリ首相の暗殺犯割り出しの問題がこじれた場合、レバノンは二つの選択肢の、いずれかに向かって行く、危険性が増してきそうだ。

第一の可能性は、レバノンではヘズブラを中心とするシーア派と、スンニー派との間で、内戦が勃発するという可能性だ。第二の可能性は、ヘズブラによるイスラエルとの、戦争が始まるという可能性だ。

そのいずれの可能性も、レバノン国民にとって、危険過ぎるものであることは、述べるまでも無い。また国民の望むところでも無いことは明らかだ。1975年に始まり、15年にも及んだ内戦を経験しているレバノン国民は、悪夢の再現を望んではいない。平和な状態を切に願っているだろう。

そもそも、2005年に起こったラフィーク・ハリーリ首相の暗殺は、誰によって実行されたのであろうか。いまの段階ですら、その真相は全く明らかになっていないが、これまでに幾つもの犯人説が出されている。

最初に出たのは、シリア犯人説だった。当時、レバノンを支配下においていたシリアが、ラフィーク・ハリーリ首相の登場によって、レバノン支配が危うくなったために、暗殺したというものだった。

 シリアによるレバノン支配は、シリア軍の幹部にビジネス・チャンスを、もたらしていた。レバノンで輸入された高級乗用車を、シリアに無税で持ち込めば、それだけで一生贅沢な生活が、出来るといわれていた。

 次いで出てきたのが、ヘズブラによる暗殺説だった。スンニー派のラフィーク・ハリーリ首相の存在を、ヘズブラが嫌ったためだ、あるいは、シリアとイランの意向を受けて、ヘズブラが暗殺を実行したのだ、とも噂されていた。

 このヘズブラによる暗殺説と相前後して、イスラエルのモサドによる犯行説が出てもいた。アラブ世界で起こる不明な事件は、必ずイスラエルの陰謀、という説が登場し、その実行犯はモサド、というのが定番であり、このラフィーク・ハリーリ暗殺事件の場合も、真相が全く不明な状態で推移したため、モサド説が出て来たのは、当然の成り行きといえよう。

 これらの説は、いわば、常識的推測が生み出した結果であり、誰にも推測できる仮定であったろう。しかし、つい最近になって、これらの説とは少し赴きを異にする、新説が登場してきている。

 この新説は、アメリカのニューズ・マックスという名の、保守派のネットで紹介されたものだ。

 ニューズ・マックスによれば、ラフィーク・ハリーリ首相の暗殺は、イランの最高指導者ハメネイ師の、命令によるものであり、イランの革命防衛隊がヘズブラと協力して、暗殺計画を実行したというのだ。

 ハメネイ師の命令は、革命防衛隊のアルクドス軍司令官のカーシム・スレイマニ氏によって、ヘズブラの軍司令官イマード・ムグニエ氏に伝えられたということだ。その後、イマード・ムグニエ司令官と彼の義兄弟、ムスタファ・バドルッデーン氏の指揮の下に、暗殺が実行されたということだ。

 イランがラフィーク・ハリーリ首相を暗殺した理由は、ラフィーク・ハリーリ首相をサウジアラビアの、エージェントと判断していたからだ、ということだ。イランはラフィーク・ハリーリ首相を暗殺することによって、ヘズブラがレバノンを支配することが出来る、と判断したというのだ。

 この話にはまだ続きがある。シリアのバッシャール・アサド大統領と、彼の義兄弟であるシャウカト情報司令官も、この作戦に関与していたというのだ。なにやらアメリカが敵視している、中東の全ての役者たちが、舞台に押し出された感じがしてならない。

 ハメネイ師はイランの最高指導者だが、彼をラフィーク・ハリーリ首相暗殺の、直接命令者だとする説は、どのような根拠に基づくのかは分からないが、外交上は極めて非礼であろう。しかし、アメリカ国内の保守派の間では、こうした説が歓迎されるのであろう。そして、それは次なる戦争への、遠因になるのかもしれない。

 ラフィーク・ハリーリ首相の暗殺犯は、暗殺犯説が幾つ出てきても、いまだに不明だ。その不明さのなかでの諸説を元にして、レバノンが内戦あるいは、イスラエルとの戦争に向かうとすれば、レバノン国民にとって、これほど不幸なことはあるまい。