1970年代には、湾岸諸国の人たちが着る、白のオバQスタイルの服装は、まさに金満家のシンボルだった。特に、第一次オイルショックの後、石油価格が暴騰したことから、湾岸諸国政府は、その収入の使い道に、事欠いていた。
結果的に、湾岸諸国の国民は、簡単な仕事でも、高給を受け取ることが、出来ていたのだ。酒も夜の楽しみも無い湾岸諸国から、多くの国民が札束を握り締めて、アラブの大都会であるカイロやベイルートに、遊びだけを目的に、出かけていたのだ。
もちろん、ちょっと外国の事情に詳しい、プチ・インテリたちは、アラブ諸国を飛び出し、ヨーロッパや日本にまで、足を伸ばしていた。彼らの切る札ビラが、日本国内でも話題になっていたものだ。無理も無い、大卒の初任給が3-4万円の時代に、100ドル(36000円)をチップとして、くれることがざらだったからだ。
あれから既に、40年もの歳月が過ぎている。湾岸諸国なかでも、サウジアラビアの人口は、3倍程度まで膨れ上がり、今では、外国でドクターを取得して帰国しても、まともな仕事が見つからない、という状況が発生している。
仕事は全般に少なく、職にありつくためには、高度の能力が必要とされるようになった。このため、サウジアラビアでは失業問題が、社会問題のトップに躍り出ている。当然ことながら、それは社会不安に、繋がるということでもある。
先週の土曜日、サウジアラビアの首都リヤド市で、職にありつけない、教員資格者による、デモが行われた。その裏には、公立学校と私立学校の、給与格差問題もある。
現在、サウジアラビア国営(公立)学校の教員給与は、サウジ・リヤルで8000リヤル、凡そ2132ドルだが、私立の学校の給与は2000リヤル(533ドル)で,公立の4分の1にしかあたらない。
当然、教員資格者たちは公立学校での仕事を、求めるのだが、その職が無いということになる。そこで、デモが起こったということだ。昨年には、8月にリヤド市で、デモが行われている。
仕事が不足しているのは、教員資格者だけではない。他の仕事も今では足りなくなり、サウジアラビアの失業率は、公式発表で10.5パーセントに、達しているということだ。
サウジアラビアの人権団体は、内務省に座り込みデモを申請しても、内務省が許可しないために、最近、人権委員会が内務相更迭要求を出したようだ。失業率が上がっていけば、各種の職業分野の人たちが、仕事よこせデモを展開していく、危険性がある。
それは、しいては王家の不安定にも、繋がっていこう。40年の歳月が、サウジアラビア国内状況を、すっかり様変わりさせた、ということのようだ。