「イラン議会がイギリスと断交議会を協議」

2010年12月20日

 イギリスがまいた種が、60年以上も過ぎた今でさえ、中東に多くの混乱を、呼び起こしている。パレスチナ問題、イラク・クウエイト国境問題が、その典型であろう。

 最近になって、イギリスはイランに対して、多くの敵対的な言動をしてきたとし、イラン議会ではイギリスとの関係を、断絶しようということが、討議され始めた。それは、先日起こったチャバハールの爆弾テロ事件について、イギリスが肯定的な意見を、表明したことによる。

 これ以外にも、イギリスはイランの人権問題を、ことさらに世界に吹聴したということも、イラン国民を怒らせているようだ。こうなると、問題は最近の出来事だけではない。過去にさかのぼって、イギリスがいかにイランに対して、敵対的であり、犯罪行為を行って来たかまでが、取り上げられ始めた。

 イギリスがかつてほどの、実力を有していたら、簡単に見えない形で報復を、イランに行ったであろうが、最近のイギリスには、それほどの力は、無くなっているのではないか。

 イランが今回、イギリス非難に回ったことは、場合によっては、多くの第三世界の国々で、連鎖反応を起こすかもしれない。少なくとも、旧英領であった国々からすれば、イギリスに対する不満は、いまだに山ほどあろう。

 相対的に、ヨーロッパ諸国やアメリカの退潮の前で、第三世界の突き上げが、いろいろな形で、出てくるのではないか。イギリスを始めとする、ヨーロッパ諸国が植民地時代に持ち去った遺物を、返還するよう求める運動は、エジプトでも始まっており、それが一部成功し、ヨーロッパの博物館から、エジプトに返還されている。

 世界的な民族主義的風潮の中で、第三世界の国々はこれから、あらゆる部門でヨーロッパやアメリカに、挑戦し始めるのではないか。今回のイランでの出来事は、イランだけで終わることとは、思えないのだが。