「ウイキリーク氏はスパイ活動かそれともジャーナリズムか?」というタイトルの記事が、トルコのトデイ・ザマン紙のブログに掲載された。
ウイキリークスの暴露した、アメリカ国務省の通信内容は、確かにスパイ行為ということにもなりそうだし、考えようによっては、ジャーナリズムの新しい形、とも取れよう。
ウイキリークスを運営している人物が言うには、対象は「堕落した体制に対する批判」「秘密の活動を暴露する」ことを目的にしている、ということのようだ。つまり、彼はジャーナリズムの十字軍(正義の味方、)と言いたいのであろうか。
この記事のなかで興味深いのは、アメリカのニクソン政権の時代に、スパイ活動もどきで、ニクソン政権の秘密が、調べ上げられ暴露され、遂には、ニクソン政権が打倒された、という前例を挙げている点だ。
あの時の過剰なまでの取材と、情報収集活動が、結果的には正義の活動として、賞賛される形に終わったことだ。
アメリカには憲法の修正第一条というものがあり、報道の自由が認められている。ウイキリークスをジャーナリズムと捉えた場合、この行動は報道の自由の範疇に入り、処罰の対象にはならないということだ。
しかし。レーガン時代に起こった、モリソン事件では、アメリカの国防省が収集していた、ソ連の黒海の軍港や、航空母艦の写真なども含まれていたために、スパイ行為と判断され、有罪となっているようだ。
今回のウイキリークスの場合、ウイキリークスがアメリカを始めとする、大手新聞社マスコミに、情報を提供したにもかかわらず、アメリカではマスコミが政府と協議し、報道を抑えたということだ。
また、アメリカ政府の反応が意外なほど、穏やかだということだ。しかし、アメリカ以外の国々では、大騒ぎになっているということだ。つまり、情報の漏洩は、アメリカには大きなダメージとはならず、他の国々にとっては、死活問題にもなりかねない、ということではないか。
アメリカにも被害はあるが、それはプラス・マイナスしてみると、あまり悪い話ではないということではないか。
日本でも警察資料や尖閣諸島問題の資料が、漏洩されるという事件が起こっているが、これからは、それらにどう対応するか、ということが新たな問題となってこよう。過剰な対応をするようになれば、それは社会問題に発展しかねない、微妙なものであろう。