アルジェリアの南部、モロッコの南東部に位置するポリサリオ(西サハラ解放戦線)の難民キャンプを訪れたのは、私がまだ28歳頃のことだ。つまり、あの日から既に35年の歳月が、経過しているということだ。
戦闘ズボンの下に下ズボンを二枚履き、上も重装備でアルジェリアから空路バッシャールまで飛び、そこから13時間ほどだったろうか、アルジェリアの軍のジープで走り抜け、チンドーフのキャンプを訪ねた。
寒い冬の時期であったにもかかわらず、そこでは子供たちが元気に遊んでいた、キャンプの世話をしているおばさんたちが、どれだけ子供たちの清潔と健康に、気を使っているかということを、実践して見せるために、我々の前で子供たちの頭を、洗って見せてくれたが、子供たちはさぞかし、寒かったことだろう。
ある日、そのキャンプから前線に行くことになったが、ドライバーが道を間違えたらしく、気が付いてみるとモロッコ軍の基地のすぐそばまで、迫っていたことを知った。
モロッコ軍側は警告であったろうが、機関銃を浴びせてきた。我々の車の10メートルほど先で、パパパッと砂煙が上がったことを憶えている。そこは戦場だったのだ。
以来、活動はもっぱらレバノン、エジプト、シリア、ヨルダンなどに変わったが、ポリサリオのことを忘れたことはなかった。当時の案内役の若い男が、いまでは大統領という肩書を、持つに至っている、彼も60前後に達したのであろうから、無理もない話だが、時間の経過を感じさせる一面だ。
そのポリサリオとモロッコとの間で、戦闘がおこったという記事が、ネットで流れてきた。アルアイウユーンの町の難民キャンプを、取り壊そうとしたモロッコ側と、住民との間に衝突が起こり、3人が死亡し70人以上が負傷したというのだ。
理屈はどちらの側にもあろうが、死者負傷者が出るということは一言で悲しい限りだ。私は過去35年の間に、いろいろな体験をしてきた。贅沢も楽しみも感動も悲しみも、経験してきたつもりだ。
しかし、私とは違ってポリサリオの人たちは、過去35年の間、砂の嵐の吹く難民キャンプのなかで、与えられる食料を口にして、生き続けてきたのであろう。もちろん、そこには何の希望もないだろう。
ポリサリオの戦いが、これだけ長期に渡って続いているのは、モロッコとアルジェリアとの、国家間の利益のためであろう。そこには、ほんのひとかけらのポリサリオの正義があるだけだ。しかもそれは単なるお飾りにすぎない。私が社会主義革命には夢が無い、という現実を明確に教わったのは、ポリサリオの前線を見た時だったと思う。