「イラン人へ・口から出る言葉はその人の品性を表す」

2010年8月31日

 イスラムは宗教であり、生きていく上で必要な、全てを教えてくれているのだ、とイスラムの学識者たちは言う。イランの学識者たちも、同じことを言うのであろう。その通りだ、イスラムは信仰としての宗教、という側面だけではなく、人が生きていくうえで必要な、全てのことを教えているはずだ。

 イランのシーア派には多く学者がおり、その学者たちは学識の深さによって、何階級にも分けられている。そうであるとすれば、その学者たちには信徒に対し、正しいイスラムを指導する責任があろう。

 しかし、残念なことに、最近のイランから聞こえてくる言葉には、あまり品性を感じられない場合が多い。例えばフランス大統領夫人について、イランのケイハン紙は相当常識を逸脱した、表現を使って批判している。

 それは、イランのケイハン紙側に言わせれば、フランスの言葉に対する、お返しだというだろう。だがそれは、相手の低いレベルに、自分を引きずり下ろした、ということではないのか。

 また、イランはイスラエルやアメリカが、イランを攻撃した場合、イスラエルのデモナ原発を、攻撃すると語ったが、そのことは、イスラム法で許されることなのだろうか。

 もちろん、イスラエルにしてみれば、デモナの原発を攻撃されることは、悪夢の極みであり、地獄絵であろう。それだけに、このイランの警告は、それなりの効果を、生み出すだろう。

 日本には「売り言葉に買い言葉」というのがあるが、その場合は、まさにお互いが理屈にもならない、誹謗中傷をしあっている状態を、言うのではないか。イランにはハメネイ師という、大変に学識の深い、イスラム教の学者がいるのだから、そのハメネイ師に敬意を表せるような発言を、外部の敵に対しても向けるべきではないのか。

 それがハメネイ師とイスラムに対する、敬意であるはずなのだが。同時にハメネイ師は、激高して感情的な言葉を繰り返す、イランの政治家やマスコミに対し、イスラム本来の常識と礼儀に戻るべきだ、と諭すべきではないのか。