世界同時不況の中で、トルコは例外的な復興を続けている。輸出額は増大し、それに伴って、国内の失業率も、低下しているようだ。周辺諸国との外交も、大きな成果を遂げ、ビザなし交流の国が増えている。
そうしたなか、世界のトルコ研究者は、トルコがいま、オスマン帝国の復活を、目指しているのではないか、という憶測まで、口に出し始めている。それはかつての、オスマン帝国版図の国々の多くが、トルコとの間でビザを廃止した結果、トルコ人ビジネスマンはこれらの国々に、自由に出入りできるようになったからだ。
ギュル大統領、エルドアン首相、そしてダウトール外相という、絶妙なトライアングル構成からなるトルコ政治は、内外で大きな成果を、挙げているということだ。その成果のスピードは驚異的であり、アラブの多くの国々は、トルコを激賞するようになってきている。
しかし、そのトルコにとってクルド問題、もっと直接的に表現するならば、PKK(クルド労働党)に対する対応が、なかなか成果の上がらない、頭痛の種であり続けてきた。PKKが結成された1984年以来、トルコ国内ではPKKによるテロが頻発し、軍人民間人のなかから、4万人を越える犠牲者が、出たと報告されている。
トルコにとって、クルド問題は永遠に解決できない問題、という認識があることも事実だった。しかし、ここに来て、クルド問題には意外な解決に向けた動きが、成果を挙げつつあるようだ。
最近になって、トルコ政府がPKKやPKKのオジャラン議長と、コンタクトを取っているという情報が、流れ始めた。それは、野党側から流されたものだが、この情報に対し、エルドアン首相は半ば認める発言をしている。
政府はコンタクトを取っていないが、MIT(情報部)がコンタクトをとることはあるという表現でだ。
彼に言わせれば、政府としてのコンタクトは取られなくとも、情報部や軍、警察などがコンタクトを取って、政府が平和的なクルド問題の、解決を図ることに寄与することは、ありうるというのだ。
実際には1999年以来、MITと呼ばれるトルコの情報機関のスタッフが、オジャラン議長にもPKKとも、再三にわたってコンタクトを、取ってきていたようだ。
8月13日にPKK側が宣言した、ラマダン停戦は、トルコ政府側がオジャラン議長とコンタクトを取り、オジャラン議長が和平路線を口にしたことがきっかけだった、という推測が事情通によって語られている。
それでは何故この時期に、これまで秘密裏に行われていた、オジャラン議長やPKK側とのコンタクトが、表沙汰になってきたのであろうか。実はこれは与党AKPが進める、憲法改正に向けた、国民投票と直結する問題だからだ。
与党AKPは、クルド問題の解決に直結する、憲法改正を国民投票で実現し、軍の動きを大幅に縮小し、クルドとの和解を実現しよう、と思っているのだ。この与党の動きは、大筋でクルド側から、歓迎されているようだ。
与党の筋書きはこうであろう。
1:憲法改正を国民投票で実現する(そのためにクルド人を取り込む)
2:新憲法は来年発布される
3;クルドにある種の自治権を与える
4:トルコ東部の開発をクルドと協力して進める
オジャラン議長には終身刑が下っているし、PKKも次第に、外国からの援助が減ってきており、トルコ内クルド組織には、政府と妥協を図る組織が、増えてきている。PKKがクルドの代表的組織、という雰囲気は、既に大分縮小してきているのだ。
PKKとイラクのクルド自治政府との関係も、あまり芳しくなくなってきている。イラクのクルド自治政府は、トルコ政府との良好な関係を、PKKとの関係以上に、優先させるようになってきているのだ。PKKの拠点はイラクのクルド地区のカンデル山であり、次第に居心地が悪くなってきている、ということであろう。
こうしたことが、PKKをして妥協に到らしめる、下地になっているのかもしれない。願わくば、この交渉が成功に到って欲しいものだ。