「バハレーンの不安定化はイランそれとも西側の関与?」

2010年8月16日

 バハレーンは湾岸諸国のなかで、最も初めに石油を産出した国である。バハレーンはこの石油の富を、周辺の湾岸諸国のために、相当使ってきている。このため、バハレーンは小国ではあるが、湾岸諸国のなかで、しかるべき位置を、湾岸諸国のなかで確保している。

 そのバハレーンは、古くから開けてきたこともあり、湾岸諸国のなかでは、最も近代化し、自由が拡大している国の、一つであろう。例えば、公式にはアルコールが飲めない、湾岸諸国のなかにあって、バハレーンは例外的に、アルコールを買うことも、飲むことも出来る国なのだ。

 女性の職場進出も多いし、高度な教育を受けた人も少なくない。そのため、バハレーンは湾岸の中にあって、金融センターや報道のセンターとしての、歴史も古い。

 もちろん、こうであるということは、開明的な発想をする国民が、多いとうことにもつながる。バハレーンの王家がスンニー派であることから、シーア派の人たちは長い間、二等国民的な扱いを受けてきている。そのため、シーア派国民による政治活動、民主化活動は、大分前から活発に行われてきている。

 それが最近になって、以前にも増して、活発化していることが、気にかかる。バハレーンのシーア派の民主化活動は、イランの関与によるものなのか、あるいは欧米の関与、もしくは欧米の影響を受けた、自由化民主化であって、イランとは何ら関係ないものか、ということだ。

 最近、ロンドンでバハレーンの民主化について、講演をして帰国した、アブドッジャリール・シンガシ氏が逮捕された。それに続いて、シーア派の二つの村で、警察と住民の衝突があったということだ。そして、数人が逮捕されている、という報告があった。

 バハレーンのシェイク・カリーファ国防大臣は、湾岸地域が一体となって、治安を強化する必要があることを訴えているが、同時に、彼は駐バハレーン・イラン大使との間でも、両国の治安協力について、話し合っている。

 こうして見ると、現在バハレーンで起こっている民主化運動は、イランの関与というよりも、欧米の影響を受けた、インテリによる行動、というようにも取れそうだ。もちろん、アブドッジャリール・シンガシ氏以外の、活動家もいるであろうから、バハレーンの民主化運動を、イランとは全く関係ない、とは言い切れないが。