古代エジプトの王は、ファラオと呼ばれていた。日本でも知られているラムセス王もツタンカーメン王も、皆ファラオなのだ。エジプトはこのファラオとナイル川が、安定と繁栄をもたらしてくれるものだった。
ファラオは今でこそ存在しないが、エジプトの大衆の心のなかには、いまだにファラオのイメージが、生き続けているのだ。一旦ある人物が権力を掌握すると、その人物の良し悪しは別に、国民はその人物が権力トップの座に、なるべく長期間に渡って、居座ってくれることを望むのだ。
たとえ悪人が権力を握ったとしても、庶民はナイル川のもたらす豊かさで、十分に生きていけるのだ。ナイル川の運ぶ肥沃な土が麦を育て、果物を実らせ、野菜を成長させ、家畜を育ててくれるからだ。
したがって、エジプトの大衆の心と身体のなかには、いまだにファラオとナイルの恩恵が生き続けているのだ。
この事実に、元IAEA事務局長だった、ムハンマド・エルバラダイ氏がやっと気がついたようだ。彼は28年もの長い間欧米で生活し、カイロの下町のごみごみした空気と臭いを、完全に忘れていたのだろうか。
ムハンマド・エルバラダイ氏が、エジプト人大衆の心理を理解できたのは、今回大統領選挙立候補に向けて、動き出した時だった。最初のうちは、様子を見ていた野党各党が、ムスリム同胞団のムハンマド・エルバラダイ氏接近を見て、急に同氏に接近し始めたのだ。
そして、ついには相当数のエジプト国民が、ムハンマド・エルバラダイ氏を次期大統領として、推すようになったのだ。しかし、問題は現行憲法では、彼は立候補できないということだ。彼が大統領選挙に立候補するためには、憲法の改正が行われなければならない。
したがって、エジプト人大衆がいま行うべきは、憲法改正に向けた署名運動であり、政治集会の開催なのだが、エジプト国内ではムハンマド・エルバラダイ氏を、担ぎ上げる動きだけが先行している。
つまり、エジプト国民はムハンマド・エルバラダイ氏を支持さえすれば、後は彼が全てを変えてくれる、という全く現実的では無い判断を、下しているのだ。しかし、現状でのままでは、何事も前進しないということだ。
ムハンマド・エルバラダイ氏はいま、エジプト人大衆の心に巣食って、動こうとしないファラオ信仰に、ホトホト呆れているのではあるまいか。街中ではムハンマド・エルバラダイ氏の名を大声で叫び、警察と衝突を繰り返す集団が、幾つも登場するが、彼らは存在しないファラオと同じように、現状のままでは不可能な、ムハンマド・エルバラダイ氏の大統領就任を、夢想しているのであろう。しかも、現実に不可能な状況を変える、困難な仕事は全て、ムハンマド・エルバラダイ氏に託そうというのだ。
そのエジプト人大衆の、ファラオ信仰を破壊しないことには、ムハンマド・エルバラダイ氏の大統領選挙への立候補は、不可能なのだが、もしそれをムハンマド・エルバラダイ氏が分からせようとすれば、大衆の支持を失いかねないという、両刃の剣のような危険が、背中合わせになってもいるのだ。