最近、やっとエジプトの宗教担当大臣が、エルサレムへの巡礼に賛成する趣旨の発言をした。これまでは、感情的な問題や、アラブ政府による規制などがあり、エルサレムへの巡礼は実質的に、強い規制を受けていた。
しかし、イスラム教徒のアラブ人にとっても、キリスト教徒のアラブ人にとっても、エルサレムは重要な聖地となっている。このため、だいぶ前から巡礼に対する規制を、緩和するようにという要望があった。
アラブ諸国にとっては、1967年の第三次中東戦争で、エルサレムをイスラエルに占領支配されて以来、エルサレムへの巡礼は、イスラエル側の厳しい規制の下に置かれており、実質的に不可能であったということから、感情的に規制するように、なっていったのであろう。
もちろん、それ以外にもエルサレムに巡礼に出かけたアラブ人が、イスラエルの官憲によって逮捕され、洗脳されてスパイに仕立て上げられ、それぞれの国に帰される、という懸念もあったろう。
しかし、アラブ人がエルサレムに巡礼に行かないために、パレスチナ人たちはアラブ人以外の旅行者を対象に、ビジネスを行わなければならなかったし、それは極めて限られた、範囲のものであったろう。
世界中のイスラム教徒、アラブのキリスト教徒が大挙して、エルサレムに巡礼に行けば、パレスチナ問題は実感をもって、同胞たちに受け止められるように、なるのではないか。
述べるまでもなく、エルサレムは、キリスト教徒にとっては、イエス・キリストのゆかりの地であり、科刑に処せられた地であり、イエス・キリストの墓がある場所だ。
イスラム教徒にとっては、エルサレムはメッカ・メジナに次ぐ、第三の聖地とされている。それはイスラム教の預言者ムハンマドが昇天し、アッラーに会いに行ってきた場所だ、とされているからだ。
戦争による敗北、その屈辱感、そして敵に対する憎しみと不信感が、こうまでも長い間、アラブのイスラム教徒やキリスト教徒を、エルサレムへの巡礼に、向かわせなかったのであろう。我と神との間のことについては、政府はあまり深く介入しないのが、一番いいのではなないかと思えるのだが。