パレスチナ国家は西岸に?ヨルダンに?

2010年7月29日


 突然のネタニヤフ首相のヨルダン訪問は、現地では話題を呼んでいるようだ。当然のことながら、誰もがその理由が何なのかを、考えるであろう。報道されたように、パレスチナ和平に向けた、ヨルダンへの協力要請であった、という考えもあろうが、それ以外にも、いろいろな理由が考えられる。

 ヨルダンのパレスチナ人の間から、意外な意見が出てきているので、ご紹介しておこう。この意見を読むと、多分に今後のパレスチナ・ヨルダンの状況が、見えてきそうな気がするいからだ。

 このパレスチナ人の考えでは、ネタニヤフ首相がヨルダンを訪問したのは、彼が西岸の土地(イスラエルの土地)をあきらめ、そこにパレスチナ国家を建設するために、ヨルダンのアブドッラーⅡ世の協力を、仰ぎに来たというのだ。

 この判断(情報)を語ったのは、ヨルダンに居住するパレスチア人だが、彼はヨルダンにパレスチナ国家が、建国されることを希望しているということだ。 

パレスチナ人にしてみれば、やがてはイスラエルが、西岸地区も併吞してしまうのだから、西岸にパレスチナ国家を建設する、という前提の和平交渉は、何の意味も持たない。それならば、ヨルダンをパレスチナ国家に変えてしまった方がいい、ということなのであろうか。

では何故この段階で、ネタニヤフ首相が西岸地区にパレスチナ国家を、しかも、早急に建国することを考えるようになったのか、という疑問がわいてくる。それは、アメリカのオバマ大統領のイスラエルに対する、圧力が強くなってきていることによるのではないか。

かつて、強硬派だったシャロン首相が、最終的にはガザ地区を放棄し、パレスチナ人に返還したことがある。それは、肉を切らせて骨を断つ、という究極のサバイバル戦法だったのであろう。

そして今、ネタニヤフ首相も同様の戦法を、採る決断をしたのであろうか。そして、それはヨルダンがハーシム王家として、生き残ることにも繋がるのであろうか。

世界政治はそれ以上に複雑なのかもしれない。イスラエルのネタニヤフ首相は、パレスチナ問題の解決(撲滅)に、一旦は身を引いたヨルダン王家を、再度巻き込もうとしているのかもしれない。

ヨルダンのハーシム王家がパレスチナ問題に再度関与し、西岸の状況が複雑化し、大量の難民が西岸地区からヨルダンに逃れてくる。それをハーシム王家は拒むことができなくなる、、、。悪夢は常に頭上にあるということではないのか。