ヨルダン王国の将来に不安は無いのか

2010年7月28日


以前にも、ヨルダン王国の将来に不安がある、という内容の原稿を書いたが、最近になって、中東のジャーナリストとして世界的に著名なロバート・フィスク氏が、同様の内容の記事を書いている。

 ヨルダンは元々ヘジャーズのハーシム王家の王子が、イギリスによって連れてこられ手設立された王国であり、ヨルダン王家はもともとの、ヨルダンの住民ではなかった。つまり、イギリスの植民地政策が生み出した、人口の王国ということになる。

 その人口の王国が、ヨルダンに出来て以来、今日まで安定して存在してこれたのは、ヘジャーズから移ったハーシム家が、イスラム教の預言者の末裔であることが、大きな理由だった。

 ヨルダンに居住していたベドウインたちは、預言者の末裔ということで、高い評価をし、自分たちの王に収まってくれることは、極めて名誉なことだと認識し、歓迎したのだ。

 既に死亡したフセイン国王は、危機に遭っては、ベドウインの部落に逃げ込み、またあるときは、ベドウインの部落に滞在することによって、心の安寧を得たと伝えられている。つまり、ヨルダンの王家はベドウインたちによって守られ、支えられてきたということだ。

 しかし、イスラエルの拡大政策が、ガザやヨルダンア川西岸地区から、多くのパレスチナ人を追放した結果、ヨルダンに居住するパレスチナ人の数が、激増している。湾岸戦争時も、多くのヨルダン・パスポートを所有するパレスチナ人が、ヨルダンに逃げ込み定住している。

 そればかりではない、そのパレスチナ人の多くが、ヨルダンの国籍を取得し、国の要職に納まるようになった。ヨルダンも国会議長はパレスチナ人、法律部門のトップもパスチナ人、アカバ経済特別区のトップも、パレスチナ人だというのだ。

1988年から現在までに、195万人のパレスチナ人が、ヨルダンの市民権を取得し、85万人が不法に市民権を得ているということだ。またヨルダン川西岸地区からは、合法的にヨルダンに入国し、市民権の無いままに、居住しているといことだ。加えて、ガザ地区からも30万人のパレスチナ人が、ヨルダンに移り住んでいるということだ。

このような状況の推移には、幾つかの理由があろう。世界の何処でも起こる現象だが、ガザ地区やヨルダン川西岸地区よりも、ヨルダンの方が経済的に豊かであり、より自由だということであろう。

またアメリカやイスラエルが進める、ヨルダンに対する民主化の、押し付けの結果であり、ムスリム同胞団の議会での、影響力の拡大にもよろう。こうした状況を危険だと考えているのは、退役軍人たちだということのようだが、もし彼らの不安が拡大していけば、軍事クーデターのようなことも、起こりうるということではないのか。そうなると、元皇太子だったハサン王子が、どのような役回りをするのか、興味がもたれるところだ。