社会復帰するオスマン帝国末裔

2010年7月27日

         

 第一次世界大戦を機に崩壊した、オスマン帝国(トルコ共和国の前身)の末裔がいま、トルコ国内でその存在を、再度明らかにし始めている。それは、オスマン帝国シンポジュームの開催がきっかけだった。

 このオスマン帝国シンポジュームには、元オスマン帝国支配下にあった、15の国々が参加した。同時に、オスマン帝国の習慣や文化が公表されもした。

 この中で、オスマン帝国の末裔であるオルハン・オスマンル氏は「オスマン帝国はケマル・アタチュルクについても、トルコ共和国についても、何も誹謗するような発言をしたことがない。」と語っている。

 オスマン帝国の末裔の最長老者であった、エルトールル・オスマン・オスマンル氏は、1912年にユルドズ王宮で誕生し、97歳で死亡している。このオスマン帝国の末裔たちには、1974年に人権的保護が約束され、オザル大統領の時代、1985年にはトルコの市民権が与えられている。

 その後、エルドアン首相とギュル大統領は、アメリアにあるオスマン・オスマンル市の自宅を訪問している。そして、彼らにはトルコのパスポートが渡されもした。

 オルハン・オスマンル氏はハ―ルーン・オスマンル氏の子息として、1963年にダマスカスで生まれた。

 現在、オスマン財団がフランスのパリに設立されているが、オルハン・オスマンル氏はイスタンブールにも、同様の財団を設立したい、と望んでいるということだ。彼はオスマン帝国の650年の歴史を、消し去ることはできない、と語っているが、私も同意見だ。

 トルコのなかでは、世俗派はオスマン帝国の歴史を否定し、イスラム派と呼ばれる人たちは、逆にケマル・アタチュルクの貢献を、否定する傾向にある。トルコで何度か講演を依頼された折に、何時も訴えたのは、オスマン帝国の歴史もケマル・アタチュルクが創り上げた、トルコ共和国の歴史も、否定できない、トルコ国民の歴史なのだということだ。

 そうした冷静な自国の歴史を見直す考え方が、最近のトルコには出てきたということであろうか。そうであってほしいものだ。