少女婚の悲劇

2010年4月26日

 以前に名誉の殺人という問題を取り上げたことがあったが、それ以外にもイスラム世界には、悲劇が存在する。最近、サウジアラビアで12歳の少女が離婚に成功した、というニュースが流された。相手は80歳の老人だったというのだから、常識の限界をはるかに超えている、としか言いようが無い。

 こんな少女が何故結婚するのかといえば、述べるまでも無い、父親が結婚させたのであり、嫁に取る男性が決めたことなのだ。もちろん、そこには少女の意志は全く働いていない。

 12歳といえば、日本では小学校の6年生か、せいぜい中学1年生の年齢だ。80歳の男性からすれば、曾孫の年齢であろうか?では何故そうした低年齢の娘を親が結婚させるのかといえば、婚資(マハル)欲しさからであろう。

 イスラム教では結婚するに際し、男性側が女性の親に対して、マハルを支払うことになっているからだ。悪い表現をすれば売買婚のようなものだ。

 サウジアラビア政府や人権団体は、少女婚に反対の立場なのだが、正式なイスラム法の裁定(ファトワ)は出ていないようだ。つまり、政府や宗教権威者が少女婚はハラーム(禁止行為)であるとしない限り、今後も少女婚は続くだろう。

 サウジアラビアの少女の場合、幸運にも離婚できたのだが、今後、彼女の心の中に出来た傷は、なかなか癒されないのではないか?

 同様のことがイエメンでも起こっている。やはり12歳の少女が結婚させられていたが、セックスを求められ、最後には死んでしまったのだ。彼女の結婚時の年齢は、10歳あるいは11歳だったのかもしれない。

 これが問題となって、イエメンでは17歳以上で無ければ、結婚が出来ないという法律を定めようとしたところ、保守派のイスラム学者の、強硬な反対を受けているということだ。

イスラム教では結婚年齢を定めてはいない、ということがその法的根拠であろうが、それでは常識は介入する余地はないのか、ということになるのだが。

 ここでニュースとして取り上げられた少女婚の例は、まさに氷山の一角であろう。表面に出ていない少女婚の例は、サウジアラビアにもイエメンにも、他のイスラム国にも多数あるのではないか。

 この問題に対する外国からの関与は、そう簡単ではあるまい。しかし、放置したままでいい問題とも思えない。キリスト教世界が関与すれば、宗教的争いに発展する危険性があろう。

 日本のような宗教的曖昧さの中に浸っている国では、しっかりした倫理的な批判の論陣を、張れないかもしれない。また、もし日本がこの問題に批判を寄せれば、日本の少女ポルノや援交はどうなのかと反論を受けよう。

 ヨーロッパ人が外国での少年買いや、少女買いもりであろう。性的モラルはまだ人類の発展史の中では、確立していないということか?