エルサレムのシナゴーグ建設は騒ぐ話ではない

2010年3月19日

 パレスチナとイスラエルとが、ともに自領地と主張して、問題が解決していないエルサレムのなかでも、もっともセンシティブな旧エルサレムに関して、いまイスラム世界全体に及ぶような、大問題が起こっている。

 それは、旧エルサレムのなかのある、アクサモスクがある地域に、イスラエルがシナゴーグ(ユダヤ教の教会)を建設する、と言い出したためだ。一見、奢れる者の力による、イスラム領域への侵犯のように思えるのだが、実態はどうなのであろうか。

 述べるまでも無く、この情報が流れた時、最初にパレスチナ人が反対行動に出た。以来、毎日のようにパレスチナ人たちは、投石でイスラエルに対し、抗議のデモを繰り返している。そのため、既に何十人もの逮捕者と、けが人が出ている。

 このニュースを見たエジプトやシリア、レバノンなどでは、抗議デモが起こり、パレスチナ人への連帯の意思が叫ばれている。これらの国以外にも、イランやトルコでも、同様のパレスチナ支持、反イスラエルの抗議行動が、起こっている。

 しかし、この話をよく調べてみると、そもそも、1948年の第一次中東戦争までは、そこにシナゴーグがあったのだということだ。つまり、第一次中東戦争が起こる前に、シナゴーグがそこに建設された。その建設が許されていたということだ。

 しかし、第一次中東戦争が起こり、シナゴーグは破壊され、今日に至ったということのようだ。そうであるとすれば、そのシナゴーグの建設は、オスマン帝国に認められたことなのか、あるいはイギリスが統治している時代に、許可されて建てられたものかの、いずれかだということだ。

 イギリスの許可の下に建設されたのであれば、いま抗議することにも、多少の理屈が成り立つかもしれないが、オスマン帝国の時代の許可によるものであったとすれば、それは別であろう。オスマン帝国は述べるまでも無く、イスラムの国家であったからだ。

 情報の伝わり方によって、ニュアンスは大きく異なり、場合によっては、それが過剰な反応を生み出し、流血から殺人に至る、ということがよくある。今回のアクサモスクのそばに、シナゴーグが再建されるという話も、それに近いのではないか。

もう一つの情報である「イスラエルはアクサモスクを破壊する意向だ。」ということと混同し、あたかも、アクサモスクが破壊され、その跡地にシナゴーグが再建されるような話として、イスラム教徒たちには、受け止められているのではないか。

情報によれば、イスラエルがシナゴーグを建設しようとしている候補地は、アクサモスクから2-300メートル離れた場所らしい。それならば、反対する必要はないのではないか、と思われるのだが。