アラブア半島の北東端に位置する、アラブ首長国連邦(UAE)のドバイは、アラビア半島にあって、唯一例外的な欧米的な街として、高い評価を受けていた。したがって、ドバイには世界中の企業が支店を置き、あるいは本店を移していた。
酒が飲め、世界の料理が楽しめ、砂漠を楽しむことができ、マリン・スポーツも楽しめた。暑い国でありながら、規模こそ小さいがスキー場も存在し、スケートリンクもある。
そして、極め付きは公ではないが、性産業も存在していた。表向きはあくまでも客同士のことであり、管理をしているのではない、ということだった。このため、欧米諸国だけではなく、湾岸各国からも、観光客がドバイに向いていたのだ。
しかし、サブプライムに始まった、アメリカの景気後退の後、ドバイは経済危機に見舞われている。それまで計画段階で売れ、建てれば売れ、買えば儲かると言われていた不動産ビジネスは、急激に冷え込み、多くの投資家や企業家が不渡りで逮捕される前に、身一つでドバイから逃げ出した。
ドバイは悪霊にでもとり付かれたのか、ビジネス・チャンスの場というイメージが、徹底的に破壊された後、安全な場所というイメージも、壊れてしまった。それはパレスチナのハマース組織の幹部、マブフーフの暗殺によってだった。この事件の後も、幾つかの危険な情報が流れてもいる。
そして多分、最後であろう決定的なダメージは、性的な問題に対して、ドバイが異常なまでに、厳しくなってきている、ということだ。公衆の面前で、キスをしたカップルは逮捕されるし、携帯でメールをやり取りしていたカップルは、同じように逮捕され裁判に賭けられて、受刑が決まっている。
こうした悪循環が起こるまでのドバイは、罪を犯さない限り、個人の自由を大幅に認める、という風潮があったのではなかったか。今回の携帯電話を使ったメールの問題は、航空会社のフライト・アテンダントの既婚女性と、キャビン・クルーの男性、インド人同士の問題だった。
裁判は女性の夫が訴え出たことから始まり、メールを調べ判決が出たわけだが、そこには具体的な性的関係を示す証拠はなく、6ヶ月の受刑と国外追放だったが、受刑期間が短縮され、国外追放は免れたということのようだ。
こうしたアダルティな問題に対する、敏感な反応はあたかも、ドバイが他の湾岸諸国と同じような、保守的な国になっていくことを、示しているのではないかという、暗い予測をさせる。それがドバイにとって、正しいのか正しくないのかは今後分かろう。所詮、ドバイが進めてきた開発は、イギリス退役大佐の思いつきであり、価値観だったところに、無理があったのではないか。