アルメニア人虐殺問題が米とトルコの緊張生む

2010年3月 7日

 いまから100年ほど前に起こったとされる、アルメニア人虐殺事件がアメリカで再燃した。1915年にオスマン帝国時代に起こったとされる問題だが、これについては幾つもの解釈がある。

 トルコ側は虐殺ではないとし、トルコとロシアとの戦いの中で、一部はロシア側に付いたアルメニア人によって、殺害されたのだと主張している、もちろんアルメニア側は虐殺だ、と主張し続けてきていた。トルコはまた、アルメニア人によってトルコ人も、大量に殺害された、とも主張してきている。

 しかし、最近になりトルコの外交努力もあり、トルコとアルメニアはこの問題について冷静な対応を採り始めている。つまり、トルコとアルメニアの学者専門家による共同研究で、事実を明らかにしようという動きだ。 

 こうした共同研究の動きが、双方から出てきたのには、それなりの理由がある。アルメニアはコーカサスの南、トルコの東に位置しているが、海へのアクセスが全く無い。周辺を完全に他国によって、囲まれている内陸国家なのだ。

 このため、アルメニアはこれまで経済発展をしようとしても、多くの難問に直面せざるを得なかった。しかも、周辺諸国とアルメニアの関係は、決していいものではなかった。

 トルコとの間には虐殺問題が、約100年にも及んで横たわっており、東の隣国アゼルバイジャンとは、ナゴルノカラバフ問題を抱えている。南部はイランだが、この国との関係もよくない。加えて北に隣接するグルジアとの関係も、決していいものではないからだ。

 皮肉なことに、この地域でアルメニアに対して、比較的友好的な姿勢を示してくれ、経済的支援が可能な国は、虐殺問題を抱えている、人種も宗教も異なる、トルコだけであろう。

 アルメニアが最近、トルコとの関係改善を考え始めたのは、こうした事情からだ。まさに背に腹は変えられないということであろうか。トルコ側との国境が再開されれば、アルメニアの物資がトルコだけではなく、ヨーロッパ市場にも流れやすくなるのだ。

 トルコの建設技術や、多くの分野での開発技術は、アルメニアの産業振興、インフラ整備に不可欠であろう。トルコ人のビジネスマンが、アルメニアに進出してくれば、観光開発も可能となろう。

 そうしたアルメニアの事情を無視したような、今回の突然のアメリカ議会における、アルメニア人虐殺問題の復活は、当事者であるアルメニアにして見れば、いい迷惑なのではないか。

 誰がこの問題に火をつけたのか、という犯人探しをすれば、在米アルメニア人団体であり、それを支援するユダヤ人団体、ということになろう。在米アルメニア人団体にしてみれば、彼らがアルメニア人であり続ける上で、虐殺問題は団結の唯一のコアであろう。

ユダヤ人団体にしてみれば、虐殺がホロコーストだけではなく、起こったのだということになり、ホロコーストというユダヤ人の受けた、悲惨な過去がより明確なものに、なるからではないか。アルメニア問題がアメリカ議会で持ち上がった後、間も無くアラブのマスコミでは、ユダヤ人の策謀、という憶測ニュースが流れている。

結果的には、アメリカの下院議会はアルメニア人殺害事件を、虐殺事件と断定することを避けた。賢明な判断であろう。

もし、アメリカ政府がアルメニア問題を、虐殺事件と断定すれば、トルコはアメリカ軍がいま使用している、トルコ国内にあるインジルリク空軍基地の使用合意を、破棄したかもしれないからだ。それだけトルコにとっては、アルメニア人虐殺問題は大きな比重を占めている、歴史的な汚点ということであろう。