イエメンは歴史の古い国であり、多くの歴史的出来事の中心をなしてきたところだ。それだけにイエメン人のプライドは極めて高い。
北イエメンは、オスマン帝国の領地として存在していたが、オスマン帝国が倒れた後は、イエメン王国として独立した形を取っていた。しかし、それはイギリスの強い影響下にあるものだった。
その後、1962年イエメンは王制から共和制の国家に変わり、エジプトとの間で連合国家となっている。その後、サウジアラビアに亡命した王制派との間で、1970年まで内戦が続いていた。
他方、南イエメンは1967年意イギリスから独立し、イエメン人民民主共和国となった。当時、南イエメンはソビエトとの強い関係にあり、援助で成り立っていたが、ソビエトの崩壊により、国家運営が困難となり、北イエメンとの合併に踏み切った。
こうした経緯を、南北イエメンが辿ってきたことから、南イエメンの居住者たちの間では、北イエメンの主導による国家運営に、不満がくすぶり続けてきていた。それが最近の動きのなかで、再燃してきたということだ。
南イエメンにしてみれば、北イエメン側が主導するイエメン政府は、アルホウシ部族の抵抗により、大きな損失を蒙っているし、国際社会のなかでも、イエメンが注目され、これまで関心を持たれなかった、イエメン国内の問題点が、関心を呼び、国際的に知られるようになった。
イエメン政府は、アルホウシ部族掃討作戦による戦費の増大、アルホウシ部族の反乱によるイエメンの国内政治の透明化、その結果としての、問題に対する世界からの批判など、南イエメン住民にとって、分離独立運動を起こすに、好都合な条件が揃ってきていた、ということだ。
あわせて、ロシアの地域への再台頭、中国外交の活発化などが、南イエメンの人たちをして、北イエメン主導に反旗を翻させ、始めたということであろう。そのことは、アメリカにしてみれば、ペルシャ湾の出口ホルムズ海峡とあわせ、黄海の出口に当たる、バーブ・ル・マンデブ海峡も、不安になってきた、ということではないか。
日本人が忘れてならないことは、この二つの海峡が、不安定な状態に陥るということは、日本に対するエネルギー供給に、大きな影響を及ぼす危険性があるということだ。アメリカにとっては、アラビア半島のエネルギーに対する、依存の度合いは日本に比べ、非常に少ないということだ。
他方、日本は第一次オイル・ショックを経験した後、エネルギー供給諸国の世界への分散(多国化)を歌っていたにも拘らず、アラビア半島地域諸国に対する依存度は、逆に高くなっている。そのことを日本人は肝に銘じ、イエメンの動向を注視しておくべきであろう。