やっぱり始まったドバイ暗殺・イスラエルの逆襲

2010年2月26日

 ドバイで起こった、ハマース幹部ムハンマド・マブフーフ氏暗殺事件は、あっという間にドバイ警察が調査し、容疑者11人を発表した。既に、マスコミでは何度も報じられているように、容疑者は6人がイギリス・パスポートを所持しており、他はフランス、アイルランド、ドイツなどであり、2人のパレスチナ人もいたということだ。

 皮肉交じりに、何時からドバイの警察は、スコットランド・ヤード並になったのか、と揶揄するアラブのマスコミ報道もあったほど、早い結論だった。そして、ドバイ警察は99パーセント、イスラエルのモサドの犯行だ、とまで断言したのだ。

 これに対し、イスラエルは珍しいほど沈黙を守り通し、反論しなかった。このため、パスポートを使われたヨーロッパ諸国は、イスラエルに対して、怒りをあらわにし、EU全体がイスラエルとの関係を、悪化させていくことが、懸念されていた。

 こうしたなかで、イスラエルのネタニヤフ首相が暗殺を行う前に、暗殺作戦を了承し、激励したという報道や、作戦終了後に暗殺部隊員を賞賛した、という報道もあった。そして、イスラエルはこの暗殺に、関与していたのか否かについては、どちらとも取れる発言をしている。つまり、イスラエルは世界がこの犯行の首謀者を、イスラエルだと思い込むことを、待っているようなそぶりを、していたということだ。

 そしてしばらく経つと、イスラエルの逆襲が始まった。イスラエルは「何処にモサドが暗殺を行ったという、証拠があるのか。」と開き直ったのだ。確かにドバイ警察によって、映像や写真がどんどん流されていく中で、情報の受け手たちの多くは、イスラエルのモサド犯行説を信じ込んでいった。

しかし、殺人現場の写真やビデオが、発表されたわけではなかった。映像の怖さはそこにあるのだ。つまり、容疑者だという映像や、写真が何度となく繰り返して流されると、人は容疑者が犯行を行ったのだ、と信じ込んでいってしまうのだ。

イスラエルは世界中が、イスラエルのモサドが暗殺を行ったのだ、と信じ込むまで、待っていたのではないか。そして、その後に逆襲を始めたのであろう。イスラエルによれば、ムハンマド・マブフーフ氏を殺害したい、と思っていたアラブの国々や組織は多いし、パレスチナ内部にも、彼を狙う者が多数いたと言っているのだ。

確かにその通りであろう。パレスチナ内部に限っても、ハマースとファタハとの関係を考えた場合、ハマースの武器調達係であるムハンマド・マブフーフ氏は、ファタハの暗殺対象であったろう。

それ以外にも、過激派であるハマースの武器調達係であった、ムハンマド・マブフーフ氏は、穏健派アラブ諸国にとっても、ペルソナ・ノングラータ(歓迎されざる人物=危険人物)であったろう。

ドバイ警察によって、11人の容疑者が発表されてしばらく経つと、彼ら以外にも、新たに15人の容疑者が発表された。容疑者の数は合計26人に達したのだ。こうなると、ドバイに入国した人たちのほとんどが容疑者であり、容疑者として発表された人たちは、運が悪かったということになるのではないか。

これだけ多くの人たちが、暗殺に参加する必要があったとは、とても考えられない。つまり、ドバイ警察の容疑者発表には、信憑性がなかった、という結論に到るのではないか。

そしてついに、イスラエルのリーバーマン外相は、重要な発言をするに到った。「容疑者はドバイからイランに逃れた。」と語ったのだ。これは何を意味しているのか、誰が考えても分かろう。大騒ぎしたドバイのハマース幹部暗殺に、イランが関与しているということを、リーバーマン外相は言いたいのだ。だがイスラエルはこれまで、イランがハマースに対する、最大の武器や資金の供給国だとも発言してきている。そこには矛盾はないのか?

いずれにせよ、その後に起こる世界の反応は、誰にも想像が付こう。もうこの段階になると、誰もがイスラエルではなく、他の国がこの暗殺に関与していたのだ、と信じ込みやすいということだ。