アラブ首長国連邦のドバイは、つい半年か1年前までは、夢のような国ともてはやされていた。この国の首長(国王)は石油が出ない代わりに、他の方法で経済活性化を図り、一躍ドバイを世界的に知られる、アラビア半島の経済・金融センターに仕上げた。
彼の最高顧問は、イギリスの退役大佐だった。彼のアドバイスでドバイは、人工の島を造り、そこにリゾート用の住宅やホテルを建てたが、それは飛ぶように売れた。
リゾート用住宅は、湾岸諸国を始め、世界中の金持ちたちの、格好の投機(投資ではない)目標となり、計画段階で売れ、完成段階では価格が跳ね上がった。このため、第二期計画も同様に、売れ行きがよかった。
しかし、室内気温50度を越えるこの場所で、リゾート向きの住宅が建つこと自体、がナンセンスだった。いわば、投機目的の購入者を狙った、ばくち的なビジネスだったのだ。
結果は、いまになってみれば当然で、住宅価格は暴落、それにあわせ、他の不動産物件も暴落した。世界一高いビルも、150メートル以上はエレベーターが機能しないのか、電気周りに問題があるのか、いまだに使用不能となっている。
ドバイに行った日本人は、押しなべてアメリカのニューヨークにも勝る、超近代的なビル群に圧倒され、ドバイはすごいと連呼した。しかし、それは海岸線に並ぶだけであり、海岸から少し離れた場所は、砂漠が広がっていた。
3年ほど前に、ある日本の金持ち団体に誘われて訪問したが、私がドバイを見た感想は「ばくち場」だった。投資も経済もペーパー・タイガーであり、やがて自滅する、というのが私の感想であった。
そのことを書いて送ると、その団体は私の報告を掲載しなかった。当然であろう、地元の人たちにドバイ旅行を自慢したかったのだから、そんな話は紹介したくなかったのであろう。(中東TODAYに似た内容の記事を書いています)
ドバイはその後、経済危機に見舞われており、欧米の投資は砂のなかにうずもれてしまった。その損害額はイギリスが500億ドル、ドイツ、フランス、アメリカなどは確か100億ドル超程度であった。日本は90億ドル台で済んでいたと思う。
つまり、ドバイは金融センター、投資先、経済センターとして、自滅してしまったということだ。だが、その後、ドバイはほかの汚名を、冠されることになったようだ。
ドバイでパレスチナ・ハマースの幹部の、暗殺事件が起こったからだ。マブフーフなるハマースの武器調達責任者が、ドバイの高級ホテルで暗殺されたのだ。彼を誰が暗殺したのかは、いまだに特定できていない。ドバイ警察のトップは、事件後まもなく、イスラエルのモサドによる犯行としたが、そう簡単には断定できない部分がある。
不運なときは、不運なことが重なるものだ。またまた、ドバイでギャング同士の抗争が起こり、相手側のメンバーを生き埋めにして、殺す事件が起こった。これは、南アジアのアルコールを取り扱う、ギャング弾同士の抗争の結果だったが、こうなると、もうドバイは金融センターでなくなったばかりではなく、極めて危険な場所、というイメージができてしまった、ということであろう。
しかも、このギャング団の抗争の、原因はアルコールだ。述べるまでもなく、アラビア半島の他の国々は、アルコールがイスラム教で禁止されていることからご法度になっている。
こうなってしまうと、もうドバイは立ち上がれないのではないか。そこで問題は、誰がこうまでもドバイを、追い込んでいるのかということだ。これをイスラムの神である、アッラーの御意志とするのが正解なのだろうか。