ヨルダンがパレスチナ人からヨルダン国籍はく奪

2010年2月 2日

  1948年の第一次中東戦争や、1967年に起こった第三次中東戦争を機に、パレスチナの地を追われたパレスチナ人たちは、周辺諸国に難民として逃れた。

彼らのうち、ヨルダンに入国した難民のほとんどが、ヨルダン国籍を取得することができたが、それ以外のアラブ諸国では、居住は認められたものの、国籍を与えられた例は少ない。

ただし、エジプトなどはパレスチナ人に対し、ビジネスをすることを許可し、免税とした。その理由は、パレスチナ解放税として、彼らのエジプトに納めるべき税を、パレスチナ解放機構に納める、という前提であった。

言ってみれば、ヨルダンはパレスチナ人にとって、天国のような国であったということだ。ヨルダン国籍を与えられたパレスチナ人たちは、ヨルダン・パスポートを持ち、アメリカやヨーロッパに行き勉強し、そこで定着した者も少なくない。

また、1960年代から湾岸諸国に出向いた者たちの多くは、巨万の富を手にする幸運にも巡り合っている。しかし、湾岸戦争を機に、多くのパレスチナ人たちが、同地域諸国から追放されてもいる。その追放されたパレスチナ人の数は、クウエイトだけでも24万人に上った、という記録がある。

そのパレスチナ人にとって、天国のような国であったヨルダンで、最近変化が生じている。それは国籍をはく奪する動きが、出ているからだ。彼らはヨルダン国籍を失うと、ヨルダン・パスポートが所持できなくなり、外国には出られなくなるし、教育、健康、職業などのサービスと機会を、得られなくもなるのだ。

ヨルダン側の説明では、この問題が存在することを否定したうえで、もし、ヨルダンの国籍を与え続ければ、やがて西岸のパレスチナ人は、存在しないことになってしまう、と説明している。

現在、ヨルダン国籍を失ったパレスチナ人の数は、人権委員会の報告によれば、2732人とされているが、彼らが国籍を失った本当の理由は、パレスチナ人の原理主義者が、ヨルダン国内に増加することを恐れたこと。彼らが外国でテロ活動をすることを恐れたこと。によるといわれている。

最も深刻な理由は、パレスチナ人にヨルダン国籍を与え続けると、やがてはヨルダンの人口バランスが崩れ、ヨルダン人よりもパレスチナ人が、多くなってしまうことにある、とも言われている。(現在でも既に、パレスチナ人の方が多くヨルダン国民人口の65~70パーセントが、パレスチナ人によって占められているといわれている。)

この問題を解決できるのは、ヨルダン国王に直訴できる、パレスチナ人たちだけであろう。果たして今回の場合、ヨルダンのアブドッラー国王が、国籍はく奪を撤回してくれるのかどうかわからない。しかし、一部のパレスチナ人の、国籍はく奪問題を解決してやることによって、ヨルダン国王はその権威と慈悲を国内外に示すことはできよう。

 ヨルダン政府がパレスチナ人に与えた国籍を、はく奪するという強硬措置を取るのは、ヨルダン国内がイスラム原理主義者たちによって、危険になってきているからだということではないか。実際に、イスラエルはヨルダンやドバイで、イスラム原理主義者たちが若者をリクルートし、テロリストとして養成していると報告している。