ふらつき始めたかイランのアヤトラ?

2010年1月 3日

 1979年の成功したホメイニ革命以来、30年間続いたイランのベラヤテイ・ファギー体制(イスラム法学者による統治体制=神権体制)に亀裂が生じ、この体制下で優遇されてきた、アヤトラを始めとするイスラム法学者の間に、不安が広がってきているようだ。

 ある法学者は、反体制行動に参加する大衆に対して、断固とした対応を、執るべきだと主張し始めている。つまり、逮捕し、裁判にかけ、処刑しろ、ということだ。イラン革命以後の一時期、国内で体制に対する不満が高まったときも、同様の声がアヤトラたちの間から出て、多数の反体制派とレッテルを貼られた人たちが、処刑されている。

 アヤトラ・アハマド・ジャンナーテイ師が「暴徒に対して、法的にもっと強硬に対応しろ。もっとスピーデイに暴徒を処理しろ。」と主張している。つまり、以前に起こったと同じことが、今回も起こるかもしれない。

しかし、現在と以前とでは、世界のイランに対する注目度が違うことから、そう簡単にはいかないのではないか。アヤトラ・アハマド・ジャンナーテイ師のこの発言は、宗教学者の冷静さを、全く感じさせない感情論ではないか。・

興味深いのは、こうしたアヤトラの常軌を逸したと思われる発言とは裏腹に、警察幹部からは、冷静な発言が聞こえてくる。副警視総監のアハマド・レザ・ラダン氏は「警察はいかなる暴力的手段も行使していない。」と語り、デモ参加者の死亡について、警察は関与していない、と表明している。

 この副警視総監も発言は、単純に受け止めれば「公式見解」ということになるが、「大衆を敵に回したくない。」という配慮が含まれている、とも受けとれるのではないか。

そうなると今後、警察が次第に大衆運動を静観し、次いで大衆の側につくことも予想される。大衆運動が最終的に勝利できるか出来ないかは、警察や軍が大衆と体制側との、どちら側に付くかによって、決まるともいわれているだけに、この警察幹部の発言は、今後注意してフォローすべきなのではないか。

アヤトラ・アハマド・ジャンナーテイ師とは、反対の立場を取り始めたアヤトラもいる。彼の名はユーセフ・サナイ師で法学者としては、最高位の大アヤトラだ。彼は現体制批判をすることによって、大アヤトラとしての地位を、失うかもしれない。

クムのジャメエ・ムダッリシーン(法学者協会)の代表は、調査の結果、ユーセフ・サナイ師がマルジャイ・タクリード(イスラムの法源に関われる学者=グランド・アヤトラの最高位)としての資格が無い、という結論に達したと発表している。この発表は、アヤトラ・ムハンマド・ヤーズデイ師の署名によるものだ。

つまり、いまイラン国内の宗教界では、体制側に付く者と、反体制側に付く者が、せめぎあい始めているということだ。本来であれば、イスラム法に則って状況を判断し、その判断は学者たちの討議の結果、統一した見解が出てくるべきであろう。

現状ではそうはならずに、イスラム法学者たちの意見が、四分五裂しているということは、彼らが利害に基づいて判断し、行動し始めている(右往左往している)ということによるのではないか。

今後、イラン国内の反体制活動が活発化し、アハマド・ネジャド大統領やハメネイ師に対する、国内外の批判が高まっていけば、強硬派と妥協派に、アヤトラたちは分裂を、より顕著にしていくのではないか。